私は中国武術の国際大会へは1998年から出場するようになりました。2002年から2年に一度のペースでチームを率いて参加するようになりました。

国際大会での世界各国のレベルを見て、指導の風景、チーム構成、そしてそうした国際大会の現場を中国武術協会の人たちからは何を見て考えているか、という世界のことをも考えていくと将来への予測やどのようにしていけば良いかは自ずから見えてきます。

日本国内組織の活動は難しくないのですが、自分達が目指しているのは「誰であってでもチャンスがあって向上できる世界」というのを構築していくためには、

長い時間をかけてこれからの発展へと考えると、私は井の中の蛙のようなものは好きでなく、やはり広い世界を見ておいてそこから感じることも重要だと思っています。

中国の武術事情というのは基本的に共産主義国家から資本主義へ移行してきた背景と常に政治的な流れと完全にリンクしています。

日本と中国は距離的には近い関係もあったりしますが、しかし政治的には遠くあります。

そして中国から日本に来た方々や、私のようにこちらから向こうへ行く人もあると思います。

それに中国から出ない人もたくさんあり、日本からも出ない人もあります。

こうした環境の下、今までには結構考えさせられることが多くありました。

基本的に中国も含めて海外のチームは大体富裕層で教養:インテリジェンスが高く、人柄は素朴で真面目な方々が多いという現実です。

自分は海外での活動でこうした方々との交流は結構好きです。

やはり武術活動で思うのは、指導者やそのまとめる責任者の思考と行動は、その行っている武術での性質や哲学とは完全に一致しているのを感じます。

日本で時折思うのは、閉鎖的、排他的、独善的、そういう人たちが多いのを思います。

これから長い目で見れば、日本国内での発展できる要素は実は潜在的に高いと実感しています。

私は地元の太極拳協会の理事を担当してはいますが、横浜も東京も組織内でも各個人的でも何か既得権益を常に意識していて表面的には見せないでも実際は仲が良くない状況がいつもあるのを知っています。

以前東京での活動では一度組織の評議員を務めていたことがありますが、何か複雑な人間関係に巻き込まれたのが嫌になり、ストレスを受けない独自な活動を始めるようになりました。

太極拳にしても気功にしても、当然武術にしても、

武林是一家、という言葉を知らないはずはないように思いますが、

最近感じたのは、ただ技術的なものだけを知っているだけで、武術的教養も正式な武術技能も持たない人たちが既得権益として様々な執着心で武術活動をしていることが多くあるように感じています。

これからのインターネットの情報社会でのやりとりでの展開が、よりスタイル的に正しいものを目指すようになればなるほど、何が正しくて、何がよくないのか、というのは素直な若い世代から反応するようになると思います。

逆に世代的には私よりも上で、「ムラ社会」に代表されるような活性化を図るための変化から逃げ、

執着心のある人たちがこれからも居座るような状態であれば、先ずこれからの武術界での国際化の展開などの内容の変化に適応できないと思うので、自ずから衰退していくのは必然と見ています。

魚は頭から腐る、というのは本当に言い得ていると思います。

これからの武術の国際的でも全体的での展開と変化を予測して今応対準備をしています。

日本以外の世界各国地域(中華圏、東南アジア、ヨーロッパや北米、南米など)では各団体同士の協力体制がいいかたちで切磋琢磨し合って、まとまっている印象を思います。




いつか国内での武術普及も含めて、大きな展開ができる者同士で協力し合って行えば日本の武術界はもっと繁栄すると思うし、

しかしながらこれからの若い世代の多くが問題ある旧世代のやり方に洗脳されていくようになって旧体制を持続しているようであれば、このままのバラバラ状態が続くでしょう。

私は両面のシチュエーションからでも対応できるプロジェクトを進めています。

自分達さえ良ければ良いという日本的旧世代にありがちな、ご都合主義が通れば、これまで通り地元密着での活動に力を入れ続けますし、

協力し合えるようになれば今までの研究や実践の成果を他のチームにでも貢献できると思います。

日本国内でのこれからの動きで、その展開での可能性に注視しています。