横浜にやってきて14年が経ちました、もうすっかりこの地の人間になりました。

しかし東京は狛江が20年、予備校生と大学生だった時に一人暮らしをした板橋に3年、実家が引っ越して住んだ府中7年と合計30年ですが、かつての同じ武蔵国と考えると武士も居住地の代わることも、よくあるのでこれも血筋なのかも知れません。

横浜武術院を創設して12年、この12年間は中国の発展に伴って随分と往来の多かった年でした。そのうち2回は米国にも学習と視察に行きました。

そこで朝から晩までありとあらゆる武術研究と実践、指導、自身の練功の繰り返しの毎日です。

日本国内の武術事情というのは、自由主義経済の資本主義でやって来ましたので、基本的に「何でもあり」の世の中です。

時代というのは倫理が乱れ、道徳が廃れてこそ、正義や道徳の重要性が問われるものです。

私自身は少年時代に剣道、そして中国武術界に転向した人間なので、基本的には頭の堅い人間のうちの一人だと思います。

しかしこれも長年の習慣なので、止める気はありません。むしろ年を経る毎により確信するようになったぐらいです。

私達の活動は昨年度までは「研究」と「実践」を重視してきており、世間の皆さんはどういう方々が、どの「武術」に興味を持つのか、そしてその「理由」や「プロセス」は何か、ということの調査活動から始め、

どのような「技能」が向いているのか、そしてその習得年数はどのぐらいで、どのようになりたいか、の傾向を見てきました。

そこで今年度から正式な教程に合わせて「自選」と「規定」にきちんとした標準の元に、そして「武術教養」を重視して原則的に全員に意識してもらえるようにしています。

日本の武道、剣道、合気道、少林寺拳法なども含めて多くは日本古来の伝統文化における教養は必ず重視されています。

私達も当然日本人として日本古来の伝統文化の教養、意識に重きをおいて、更に中国武術文化を取り入れて多くの変化、応用のできる活動としています。

長く本場の中国国内との武術界とも交流があり、中国の武術事情の変遷にも応対をしてきました。

中国では大体の多くは「伝統武術家」が公園や武館で教授し、それが「体育学院」などの体育学校の教師に招かれ、そして「競技体育学校」というように変遷をしてきました。

しかしながら現代でもその構図はそのままで時勢によって「競技体育学校」に力を入れたり「体育学院」に力を入れたりしてきました。

そのことで中国では大きく分ければ「伝統武術系」「学院系」「競技スポーツ系」に分かれると思います。

私自身の系統としては「伝統系」から「学院系」に移行し「競技」を経て今現在は「伝統系」を重視してバランスよく人それぞれの特性に合わせて普及活動を行ってきました。

中国武術協会はその全体から考察し普及などの工夫に様々なバランスを取って活動をしてきました。

現代は標準化として「趣味武術」「健身武術」「競技武術」「実用武術」と4つのジャンルに分けて理解をしていくようになりました。

私達の活動では先ずすべての文化教養世界の活動の底辺を支える「趣味武術」の皆さんはとにかく楽しく行える活動が大事です。

「健身武術」からはやはり養生と武術教養もしっかり身に着けられることが大事だと思います。

そして「実用武術」は武道としての武芸、「武術」を名乗るにはこれも基本的になっていくと思います。

そして「競技」は忍耐と努力、を続け身につけた力を、時に自他共にどのぐらいの能力があるのかを試す場としては大事な機会だと思います。

ですからこの4ジャンルはしっかりと自身で分類しておくことが日本国内での活動をするうえでも大切なことだと感じています。

私自身の所感のひとつとして日本国内の武術事情で感じていたことですが、

「趣味武術」の系列の方々の「趣味」においての質も把握しておくことで指導内容でも応対をしていくことは重要に思っています。

今までの「人の振り見てわが身を直す」という感覚で、

かつては雑誌社の編集部の人たちがそうだったのですが、武術教養において、あくまで「趣味武術」水準での方々のが「健身武術」「競技武術」「実用武術」をしっかりと行っている方々に身勝手な根拠の乏しい思考活動で、

自身の「趣味」に合わないことから実体の伴わない批評をしているものがありましたが、こういう流れは新時代にはなくなって、

正しい教養や学術として高いレベルで切磋琢磨していくことができれば日本の武術界も他の外国での発展したような繁栄に結びつくと思います。