私は1月生まれなのでまだ6歳3ヶ月の時の小学1年生~6年生の卒業した月まで剣道と水泳を学び、中学生になってから中国武術を始めました。

そのままずっと今日まで継続してきて剣道と水泳を6年、中国武術は31年め、合わせて37年間の武芸の経歴があります。

思い起こすと、生まれてから6年と3ヶ月間の時間内だけ意識的体育運動をしていなかったということです。

人間は誰しも、自分以外の人間になったことがないので、良くも悪くも自分の感性を誰とでも当てはめないようにしながら、どなたのことでも研究して察しながら日々の研鑽を勉めています。

人間は必ず男性なら男親の父に、女性なら女親の母に影響を受けることと思います。

そして本能的にその意志を受け継ぎ、自身の代でその発展を目指す、そういった人もあろうと思います。

私も当然その一人であります。

私の父は7年前に残念ながら他界しました。

時代劇と日本武道が好きな自由主義者で、長き歴史ある伝統文化のある中国へ憧れを持っていました。

私の小学生時代は羽振りがよく車マニアでトヨタセリカ2000GTという格好いいスポーツカーともう一台仕事用にということで日産のキャラバンのコーチというキャンピングカーのようにレジャーにも使える車を持っていて、

連休の日には、富士山や蓼科、谷川岳などに行き、キャンプ用具を仕込んで川原でキャンプファイアーとかバーベキューとかをやったりして楽しませてくれました。

無口な人物でしたが、脳の回転が速く、アイデアマンで行動力があって意志の強い人でした。

柔道や剣道を嗜んでいて、スキーがものすごく上手でした。

しかし、ヘビースモーカーで私が憶えている中で中年を過ぎてからはまったく運動はせず、不健康体質だったと思います。

その父は性格的にはせっかちで食事時にはよく喉に食べ物を詰らせしゃっくりをして、母からよく叱られていました。

東京の実家を離れ、一人横浜で勝負をしようとやってきて、晩年には、その性格を息子ながらとても心配をしていました。

2006年1月の私の誕生日の3日後の夕食で餅を喉に詰らせてしまいました。

すぐに救急車を呼んで救急隊の方の手当てを受け、一度は回復しかけました。

しかし、脳への酸素不足があって、容態が変わり夜明け前に他界しました。

本当に「あっという間」に父はこの世からいなくなってしまいました。


すぐに駆け付けたかったのですが、

インストラクターの仕事で、当時はバブル期でハードスケジュールをこなしていました。

「休ませてくれ」と謂うと「代行」を出してくれれば認める、と会社の人員は言います。

レッスンをこなし夜になって実家へ駆け付けました。

父は冷たい身体になっていました。

緊急なことなのですが、と言っても「規定だから」と言って父の通夜には出られませんでした。

父の身体に抱き付き、ひたすらに涙が止められませんでした。

それから本当に走馬灯のように、思い出という思い出が流れに流れました。

翌日から、普段通りに何もなかったようにレッスンに立つ時「仁王像」を思いました。

悲しみを通して魂に至る、そんな言葉の真意を知りました。

それから7年。

横浜武術院を立ち上げて12年。

多くの素晴らしい武術家の皆様に可愛がって下さった思い出。

この12年間に指導の場をリアルタイムで感じ続け、研究に研究を重ねに重ね、

指導方法、教学法において、

ありとあらゆる武術項目、太極拳では陳式、楊式、孫式、伝統気功では導引、五禽戯、木蘭拳などを行ってきました。

今までのキャリアでの武術生活で、今現在の日本社会において想い感じることはたくさんあります。

商売、商売で世界中に日本人が、我良かれと、ひたすら儲けばかりを考えて展開に展開するビジネス。

時を経て、

商売上手な中国人が日本に来て武術ビジネスをやる。

それも結構。

日本人が中国を知らないでいる日本人に、適当に騙して行う武術ビジネス。

それも自由経済資本主義なので、それも仕方はない。

結構とはいえないけれども、一応それらも儲けて税金を納めれば、政府行政は結構と云うであろう。

最近、言いたくなるのは映画「男はつらいよ」の寅さんの言う名セリフ。

「結構、ケだらけ、猫灰だらけ、お尻の周りはクソだらけだ」

こんな言葉をつぶやきたくなります。

しかしながら、今自分のキャリアには大きな自信があります。


寅さんは日本での、日本人での、一番大切なことを知らしめてくれたことを最近殊更によく思います。

本当に全体に良かれという、日本における中国武術全般の普及には、

必ず日本的生活リズム、日本人的感性。

日本的おもいやり文化、おすそ分け文化。

日本国内各地方それぞれの歴史的文化があります。

当然に、

「日本的アレンジ」は日本人にしかできない、日本においての日本らしい武術活動は、これから始まる。

これが今年度の私の誓いでもあります。