私は1969年の早生まれ1月で猿学年、酉年です。
その生まれた6歳3ヶ月後の小学1年生になった4月の時分から月水土の学校から帰ってからの午後の時間はスイミングスクールの水泳選手育成コースへ通い、火金は剣道の道場に通い小学校6年生になり、その年の3月末までそこでずっと鍛えられました。
そして木曜日には書道教室には1~3年生まで通いました。
ふと思うと科学的立場からすれば、
「まだ心身的に何も判らぬ基準感覚もない無意識的生命体」
であった、その当時の私の父母の想いが今の自分自身の思考感覚や哲学基礎を築くうえで、とてもよい素養を作ってもらえたことに深い感謝の念を思います。
ですから「有意識的運動法則」の体感を知らなかったのは、科学的認識としては赤ちゃんとしてこの世に生まれてから6年2ヶ月29~30日間ぐらいだということです。
そして中学1年生から私の信念の強さの想いから中国武術の道へ入り、初めに通った趣味的教室から、来日されていた素晴らしい中国伝統武術の先生から、正しく功法を学び、
そこから武術競技へ進みスポーツ競技選手として活動しました。
1985年の初訪中で武術特訓を受けてから、ずっとほとんど毎年に中国大陸での専門学校や教育機関を訪れ、訓練、学習、研修、交流とこの28年間で有意識的に費やしてきました。
20代後半から、怪我による身体欠陥があり、スポーツ競技選手を一度退き、指導者になりました。
その道は実はマンネリでつまらなくなり、性格的により深い分野に興味を持ち始めました。
それが「養生」です。
しかし本物の「養生世界」は広範囲においてであり、それは「武術世界」よりも理解していくのは難解な世界でした。
私は決意して、全肉体、全精神のすべてをその法にかけて、現代日本社会認識において、ある意味では「犠牲」ある意味では「解脱」となったと思います。
しかし、そこにおいて、このことだけに今までの人生の時間をすべてかけて来た時間というのは今時分は44歳において、生まれてから6年2ヶ月29~30日間と13歳から始めてきた中国武術の31年、16歳からの中国との往来28年間での総合武芸キャリアは37年間になり、強い味方になりました。
ここ数年に私のこうした感覚から得られて様々なビジネス医療業界のような世界からの悪影響を受けることなく「タブー」なき、
独立した「養生家」「医学研究者」となってから、現代的日本社会において思うことは、たくさん・たくさん、全方位においてあります。
実はこの伝統的中国医学、養生を長く学び、私の今の鍛え続けられたすべての感覚で、米国式の現代医科学を取り入れてきた現代日本医科学の考え方を理解するのはまったく難しくありませんでした。
それは現代日本医科学の本当の専門家たちが今伝統中国医学に関心を持っている事実(実際は10年前の米国式医学がインド医学、チベット医学を経て、中国大陸の医学に関心を持っていることと連動している流れだということを、私は実体験を経て知っていました)
音楽や書道とかも通じることだと思いますが感覚的に「伝統:クラシック」を長い時間かけて極められた方々は「現代スタイル」をアレンジするのは難しくない、という共通認識はあると思います。
しかし、その逆は難しいと思います。
私にとって、昨年から今年は、とても記念すべき「象徴的:シンボリック」な年になった実感を思います。
それを、変わらず多くの善良な想いを大事にする皆様に、より貢献できるべく変わらぬ努力を続けたいと思います。
その生まれた6歳3ヶ月後の小学1年生になった4月の時分から月水土の学校から帰ってからの午後の時間はスイミングスクールの水泳選手育成コースへ通い、火金は剣道の道場に通い小学校6年生になり、その年の3月末までそこでずっと鍛えられました。
そして木曜日には書道教室には1~3年生まで通いました。
ふと思うと科学的立場からすれば、
「まだ心身的に何も判らぬ基準感覚もない無意識的生命体」
であった、その当時の私の父母の想いが今の自分自身の思考感覚や哲学基礎を築くうえで、とてもよい素養を作ってもらえたことに深い感謝の念を思います。
ですから「有意識的運動法則」の体感を知らなかったのは、科学的認識としては赤ちゃんとしてこの世に生まれてから6年2ヶ月29~30日間ぐらいだということです。
そして中学1年生から私の信念の強さの想いから中国武術の道へ入り、初めに通った趣味的教室から、来日されていた素晴らしい中国伝統武術の先生から、正しく功法を学び、
そこから武術競技へ進みスポーツ競技選手として活動しました。
1985年の初訪中で武術特訓を受けてから、ずっとほとんど毎年に中国大陸での専門学校や教育機関を訪れ、訓練、学習、研修、交流とこの28年間で有意識的に費やしてきました。
20代後半から、怪我による身体欠陥があり、スポーツ競技選手を一度退き、指導者になりました。
その道は実はマンネリでつまらなくなり、性格的により深い分野に興味を持ち始めました。
それが「養生」です。
しかし本物の「養生世界」は広範囲においてであり、それは「武術世界」よりも理解していくのは難解な世界でした。
私は決意して、全肉体、全精神のすべてをその法にかけて、現代日本社会認識において、ある意味では「犠牲」ある意味では「解脱」となったと思います。
しかし、そこにおいて、このことだけに今までの人生の時間をすべてかけて来た時間というのは今時分は44歳において、生まれてから6年2ヶ月29~30日間と13歳から始めてきた中国武術の31年、16歳からの中国との往来28年間での総合武芸キャリアは37年間になり、強い味方になりました。
ここ数年に私のこうした感覚から得られて様々なビジネス医療業界のような世界からの悪影響を受けることなく「タブー」なき、
独立した「養生家」「医学研究者」となってから、現代的日本社会において思うことは、たくさん・たくさん、全方位においてあります。
実はこの伝統的中国医学、養生を長く学び、私の今の鍛え続けられたすべての感覚で、米国式の現代医科学を取り入れてきた現代日本医科学の考え方を理解するのはまったく難しくありませんでした。
それは現代日本医科学の本当の専門家たちが今伝統中国医学に関心を持っている事実(実際は10年前の米国式医学がインド医学、チベット医学を経て、中国大陸の医学に関心を持っていることと連動している流れだということを、私は実体験を経て知っていました)
音楽や書道とかも通じることだと思いますが感覚的に「伝統:クラシック」を長い時間かけて極められた方々は「現代スタイル」をアレンジするのは難しくない、という共通認識はあると思います。
しかし、その逆は難しいと思います。
私にとって、昨年から今年は、とても記念すべき「象徴的:シンボリック」な年になった実感を思います。
それを、変わらず多くの善良な想いを大事にする皆様に、より貢献できるべく変わらぬ努力を続けたいと思います。