武術界で正しく学ぶと専門用語的ですが「霊活性」というものについて必ず意識を持つようになります。

日本にも多くいらっしゃる伝統日本古武道の先生方、あるいは文化人でも優れた思想家や芸術家、本当にすごい役者さんにも感じることがあります。


私は日本的表現としてその意味を「大自然的感性」あるいは「野生動物的直感」というように言っています。

霊活性なくして武術や武道たり得ない、ということがいえますし、逆にその感性を得られたからこそ長く行い続けている、ということです。

やはり長い時間をかけて、自身の持つ人間の能力を限界まで高める訓練や習慣で感覚は年々に磨かれていくためだと感じています。

大自然における力の変化についても常人には聞こえない音が聞こえてきたり、見えないものが見えてきたり、嗅覚で感じたり、空気の質の変化など触覚ですぐ様に反応できるようになります。

野生において動物は本能の劣ったものから天敵によって淘汰されていきます。

それは思えば、人間界においても最終的には己自身の生命力の力の弱さから、共通してそうなっていくように思います。

当然に飲食するもの、思想や思考する哲学、行動の実践。

好むものは穏やかさや落ち着き、理に適ったものしか興味は持てなくなります。

自ずからの視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感の感性を鈍らせることをすればするほど、自身の持つ力はすべて落ちていくということを重要視しない現代日本社会や世界中の風潮に懸念を思うことは多いですが、

最近思うに、自分の感性と危機意識がしっかりしていればいるほどこの世の中では自身から安泰を導けることを思うのです。