自分がずっと思っていたことは「夢見る人」こそ、報われる。

ということです。

自分が生きてきた時間。

自分がその中で学んで生かせてきたもの。

自分が好意を持ってきた行いのすべての成果。



夢という文字の横ににんべん:人という文字を足せば「儚」という文字になります。

信という言葉は、にんべん:人に言うという言葉で「信」

信じられる、ということは人と言の一致で決まる。

とてもわかりやすいことだと思います。


今の現代日本社会は病んでいる。

それを支える人たちの世界では心も身体も「病みながら」でも何故かその「不快な時代」を維持しようとしているような滑稽さがある。

知ってか、知らずなのか、

これらを政府がどうするとか、誰かがなんとかするような問題ではもう既にないようだ・・

私はもう何時からか、そんな彼らとは無意識的に近くとも直感で距離を置き 達観していつも行動をしてただ改善・発展を目指してやってきました。

それによって、現代的には油断なく、さり気なく 人の心身をも蝕むようなありとあらゆる「未病」の元のものも遠ざけることを意識的にしています。


そして「今:現代」を見渡してに想うに、

どんな時代であろうといつだって純潔に「夢見る人」「努力する人」こそ、は報われ、救われていく。

というよりは、報われるまでやり続けていく。

この事実を尊ぶ人は今多くなってきていると信じています、


そして時代や時勢、それを司る「権力者」たちのアクションなんて、いつも所詮ただの目立とう精神だけが優先するだけのくだらない「茶番劇」

これからの「日本」彼らの誰が何をしようと、何を画策しようと、

大した「意味はなし」


私の行く道は、ずっと今までにも決めてやってきた、そしてこれからもずっとこのままの意識感覚の、その行く道の向こうに待っているだろうと想う楽しみ、感じる幸せを知っています。

現代の日本社会では、気付けば、如何に愚かなことが何なのかを自分たちで暴露しながらも、

それらをわかっているけれど、やめないようにする画策などをしている毎日のメディア情報社会の行動が無意味なことを感じています。