昨日の練習でのミニ演武会を振り返ってみて、またいろいろと勉強になったことがありました。
これからの飛躍を目指すメンバーの若き人の思いや日頃の地道な練習の積み重ねから来る存在証明にもなったと思います。
私自身は7月の上海大会に向けた競技チームを発足し、指導していく中で新しい試みをとも思いました。
それが決められた期日までに何かを仕上げる、ということでした。
今までにやってきたことより、もっと何か重みのあるものを、という考えで
自身のルーツになっている日本剣術を新しく総編し型をまとめ、それを披露すること、にチャレンジしました。
実は昨日は今までにない、とても何か清々しい思いを感じ、同時に厳しくあり過ぎた今までの人生観においてもある反省をも思いました。
ずっと一途に妥協なく生きてきて、何か一つの到達点に行き届いた感じでした。
これは国内の大会や国際大会などで良い成績をとった時よりも感慨深い思いを昨日は感じました。
昨日は最年少の女の子が初めて演武にチャレンジしました。
自分は「やっても、やらなくてもどちらでもいいよ」と伝えました。
彼女は「やろうかな、どうしようかな」と悩んでいました。
「恐い経験になったりしたらよくないから、今回はやらないでみんなを見ていようか」
と自分が言って彼女は「うん」と言いました。
後半に彼女は「やる」といって一人で元気に頑張りました。とても言い出来だったと思います。
館内には心地好い空気を感じられました。
しかし、たとえこの逆であってもよかったのだ、とも思いました。
実は自分もこの一ヶ月ほどあちこちで稽古を繰り返していました。
今回は太極拳は河川敷で練習し、剣術は裏山の森の中などでずっとやっていました。
思ったことで、ひとつ。
「山は永遠に登り続けることができない、山頂が来たら下るしかない」
古えの武芸者の山篭りをする、という感じがわかった気がします。
そして昨晩ゆっくり休んで、いつも厳格な感覚でい過ぎた自分自身の今までを振り返りました。
今まではあくまで今までであり、人間一人何かやってできることにも必ず限度がある。
これからは少し緩めて、もっと時には
この日本の1億2500万人いる世にも少しは許しながらも妥協をしながら、でも生きていこうか、という気になりました。
良い妥協もある、ということ小学生の彼女に学んだ気がします。
やっぱり人生は学びの連続だと思います。
これからの飛躍を目指すメンバーの若き人の思いや日頃の地道な練習の積み重ねから来る存在証明にもなったと思います。
私自身は7月の上海大会に向けた競技チームを発足し、指導していく中で新しい試みをとも思いました。
それが決められた期日までに何かを仕上げる、ということでした。
今までにやってきたことより、もっと何か重みのあるものを、という考えで
自身のルーツになっている日本剣術を新しく総編し型をまとめ、それを披露すること、にチャレンジしました。
実は昨日は今までにない、とても何か清々しい思いを感じ、同時に厳しくあり過ぎた今までの人生観においてもある反省をも思いました。
ずっと一途に妥協なく生きてきて、何か一つの到達点に行き届いた感じでした。
これは国内の大会や国際大会などで良い成績をとった時よりも感慨深い思いを昨日は感じました。
昨日は最年少の女の子が初めて演武にチャレンジしました。
自分は「やっても、やらなくてもどちらでもいいよ」と伝えました。
彼女は「やろうかな、どうしようかな」と悩んでいました。
「恐い経験になったりしたらよくないから、今回はやらないでみんなを見ていようか」
と自分が言って彼女は「うん」と言いました。
後半に彼女は「やる」といって一人で元気に頑張りました。とても言い出来だったと思います。
館内には心地好い空気を感じられました。
しかし、たとえこの逆であってもよかったのだ、とも思いました。
実は自分もこの一ヶ月ほどあちこちで稽古を繰り返していました。
今回は太極拳は河川敷で練習し、剣術は裏山の森の中などでずっとやっていました。
思ったことで、ひとつ。
「山は永遠に登り続けることができない、山頂が来たら下るしかない」
古えの武芸者の山篭りをする、という感じがわかった気がします。
そして昨晩ゆっくり休んで、いつも厳格な感覚でい過ぎた自分自身の今までを振り返りました。
今まではあくまで今までであり、人間一人何かやってできることにも必ず限度がある。
これからは少し緩めて、もっと時には
この日本の1億2500万人いる世にも少しは許しながらも妥協をしながら、でも生きていこうか、という気になりました。
良い妥協もある、ということ小学生の彼女に学んだ気がします。
やっぱり人生は学びの連続だと思います。