私は自身の経験の中で大事にしているのは「本質」をすべてにおいて重視していることです。
「本質」つまりは「本物・実体」のある「性質」だけを求め、目指して努力をしてきました。
しかしながらこの中国武術世界に入ってからの満29年間を経て、30年めに入り 今現在に感じることがいくつかあります。
それは先天的感覚と後天的感覚のバランス感覚で人生は決まっていく、ということだと思います。
私の個人的なことでは「先天的」に恵まれてきたもの、というのは実はあまりないです。
生まれが中国に関係する家ではないし、武術で生きて行く道を選んだ時の家庭環境では裕福でもなかったし、
武術を習得するにおいて身体的にも恵まれた条件でも満点を得られるよりは、遙かに遠く欠点の方が目立つ人間でした。
その欠点を埋めたいがためにとにかくいつも必死で短所を長所にしなければ、という思いと、
先天的に恵まれた人間にいかに近づき、後天的にいかに頑張って追い越せるのかな、という関心ばかりがいつも頭にあってトレーニングにトレーニングを重ね、研究に研究を重ねました。
本当にしつこく往生際の悪いところで粘りに粘って何とか今までにやってきた、というのが正直な感想です。
ですから事更に「苦労は別の人にやらせて自分は要領よく」「自分はできるだけ楽して、メリット重視」
ご時勢全体、圧倒的多数の人間たちが、あたかも名優:勝新太郎さんの演じた1960年の映画「不知火検校」での量産型人間が普通になってしまったのでしょう。
中国を知らない、中国語もわからない、中国の思想・哲学を知らない、一個人として ありのままの中国とつきあったことのない(行ったとしても一般観光ツアー同様のお決まりクローン太極拳・武術・気功の体験・洗脳!?ツアー)人たちが知るのは「箱庭的空間」だけです。
正直、思うのは 政治経済的にも歴史的状況を「正しく」をよりよく知り、
日本人がより日本人らしくのびのびと、
国内において「不自然で??おかしなタブーのあること」や「卑屈な下僕」な思いを一切させられることはなく、堂々とやっていきたいのです。
(※こういうと海外を知らぬ国内での、アンフェアで歪んだ情報によって洗脳されているような悪しき島国根性でのひきこもり人間の空想・妄想とは観点・意見が違います)
中国武術の本場は当然「中国」
日本の剣道、柔道、空手は当然「日本」
中国人がいくら日本の真似だけしていても駄目。
日本人がいくら中国の真似だけしていても駄目。
実は、今現在の大陸の中国人で日本がとても好きで、素晴らしい日本武道を行って広めている、これも現実。
そして、
実は、今現在での純潔日本人でも中国がとても好きで、素晴らしい中国武術を行って広めている、これも現実。世界中でも今はそうです。
「やらされることをやるのではない」「言わされることを言うのではない」
「あることをすれば、自身に利がある、というのではない」
実は上っ面の政治経済での関係でどうとかをするよりも、本当の「本場」を理解し知る人たち同士の素朴な交流や活動が、双方において喜ばれる歴史に残るべき重要な役割を担っていると思います。
「本質」つまりは「本物・実体」のある「性質」だけを求め、目指して努力をしてきました。
しかしながらこの中国武術世界に入ってからの満29年間を経て、30年めに入り 今現在に感じることがいくつかあります。
それは先天的感覚と後天的感覚のバランス感覚で人生は決まっていく、ということだと思います。
私の個人的なことでは「先天的」に恵まれてきたもの、というのは実はあまりないです。
生まれが中国に関係する家ではないし、武術で生きて行く道を選んだ時の家庭環境では裕福でもなかったし、
武術を習得するにおいて身体的にも恵まれた条件でも満点を得られるよりは、遙かに遠く欠点の方が目立つ人間でした。
その欠点を埋めたいがためにとにかくいつも必死で短所を長所にしなければ、という思いと、
先天的に恵まれた人間にいかに近づき、後天的にいかに頑張って追い越せるのかな、という関心ばかりがいつも頭にあってトレーニングにトレーニングを重ね、研究に研究を重ねました。
本当にしつこく往生際の悪いところで粘りに粘って何とか今までにやってきた、というのが正直な感想です。
ですから事更に「苦労は別の人にやらせて自分は要領よく」「自分はできるだけ楽して、メリット重視」
ご時勢全体、圧倒的多数の人間たちが、あたかも名優:勝新太郎さんの演じた1960年の映画「不知火検校」での量産型人間が普通になってしまったのでしょう。
中国を知らない、中国語もわからない、中国の思想・哲学を知らない、一個人として ありのままの中国とつきあったことのない(行ったとしても一般観光ツアー同様のお決まりクローン太極拳・武術・気功の体験・洗脳!?ツアー)人たちが知るのは「箱庭的空間」だけです。
正直、思うのは 政治経済的にも歴史的状況を「正しく」をよりよく知り、
日本人がより日本人らしくのびのびと、
国内において「不自然で??おかしなタブーのあること」や「卑屈な下僕」な思いを一切させられることはなく、堂々とやっていきたいのです。
(※こういうと海外を知らぬ国内での、アンフェアで歪んだ情報によって洗脳されているような悪しき島国根性でのひきこもり人間の空想・妄想とは観点・意見が違います)
中国武術の本場は当然「中国」
日本の剣道、柔道、空手は当然「日本」
中国人がいくら日本の真似だけしていても駄目。
日本人がいくら中国の真似だけしていても駄目。
実は、今現在の大陸の中国人で日本がとても好きで、素晴らしい日本武道を行って広めている、これも現実。
そして、
実は、今現在での純潔日本人でも中国がとても好きで、素晴らしい中国武術を行って広めている、これも現実。世界中でも今はそうです。
「やらされることをやるのではない」「言わされることを言うのではない」
「あることをすれば、自身に利がある、というのではない」
実は上っ面の政治経済での関係でどうとかをするよりも、本当の「本場」を理解し知る人たち同士の素朴な交流や活動が、双方において喜ばれる歴史に残るべき重要な役割を担っていると思います。