10月の週1の休日は足のこともあり、この一ヶ月間の休みの日はひたすらに静養して過ごしました。

思えばいつも何処かへ出歩くのでおとなしくしろ、ということなのか知れません。

でも身近でも街中をゆっくり見ていれば未来を考えるヒントはあちこちにあるものです。


世間で言われるような「日本は遅れている」とか

「日本人は何か大きなアクションが起きないと行動に移さない」といわれますが、

よくよく見ていて思うには「動かない」のではなく「動けない」

「気付かない」のではなく「気付けない」のだと思います。


多くが時間に余裕がなければ、空いた時間があれば

自分自身が心地良く思うこと「個人的嗜好」に意識が向かうのだと思います。


実はいつも「何か」に心をとらわれているからこそ、

そこから逃れたいとの思いで始終、難聴になるかも知れないほど大きな音楽を聴き続けたり、

視力が悪くなるかも知れないのにもかかわらず携帯電話を使い続けているのだと思います。

この国の将来が良くなるために、この国の人々が良くなるためにと、

本当に真剣に長く時間をかけて考えて実行に移している人は少ないのだと思います。


人々は時々、大きなインパクトが起きて

何かきっかけがあれば「そうか」とようやく関心を持ってからこそ考えるのが普通で

優先されるのは「個人的嗜好」に意識が向かうのだと思います。


今や個人的嗜好は何でもあり、になりました。

でもかつてに比べれば自由になったという面では良くなったと思います。

最近感じたのは、ある社会の「風潮や傾向」があり、良いものは奨励し、

悪いものになるのでは、というものには注意をしていき、

私はいち早く「気付いた」時は、

その認識を保持しながら実践・実行を続け、多くが「気付けたら」そこに「気付いて」応対していく、

という方法がベストなのだと、ふと感じたのです。