昨日から月曜日のレッスンでも陳式太極拳の指導を始めました。
私がいつも皆さんにお伝えしているのは、すべて「功法」の重要性についてです。
やっぱり大切にしているのは「太極拳」の技法を行うことによる「功法」の意味・目的・理由・効果についてです。
日本でも多くの種類の太極拳が広まり、良いことだと思っています。
しかし、これからは「食育」という新しいジャンルの学問が発生したのと同じように、本当の身体を育てる運動の「体育」として、
身体にとって血肉筋骨を作り、五臓六腑など内臓の動きを向上させ、
同時に大脳を活性化して、バランス感覚を向上させながらも運動器において支える力を見に付けられる運動をどのようなものでも功能のあるものはどんどんと広まって欲しいと思います。
私の学習、訓練、研究、毎日の実践の中からの意見としては「導引」と「五禽戯」での究められた運動哲理は素晴らしく、これ以上に越えるものは今後1000年経っても出てこないと思っています。
ですから私の健身養生部門では必ずこの2つを身体で理解してもらってから八段錦や太極拳、形意拳などの内功を勉強してもらっています。
私は太極拳では陳式、楊式、孫式の練拳を行います。
それに太極築基功の技法を学んでから、それを重視して普及指導にあたっています。
その中で、私は太極拳を行う皆さんには「”自分の意識や意志”をはっきりと身体に現してみてください」と言っています。
太極拳などの内功の技で大切なことは、遅いのではなく 流れる時間と空間を認識しながら四肢を通じて、ありとあらゆる体の部分へ反射や反応を繊細に感じながらも攻防意識を伴い、運動し続けることです。
つまりは究極のところ、人間は意識がしたところは想いを通じて動かせることが出来て、動かせなくなって、意識や意志が届かなくなったことを「病」と呼んでいます。
ですから「意識・意志の力」が大事だということです。
そしてこれを全体的に重視しているのにも理由があります。
何故なら多くの日本人は今迄に行った訓練では「誰かがこうしろ」といったから、というような与えられたマニュアルを覚えただけ、あるいは覚えて伝えてきただけ、という、
自らの「意識や意志」を表現すること、高めることをさせてもらえなかった、あるいは知らぬ間に放棄させられていた、またあるいは奪われたことがたくさんあるのを、
私ははるか前に気付き、知っています。
ですから、常に「作られた何か」に支配されてしまっている方々が圧倒的に多いと感じています。
時代の作る雰囲気というのは大きな力を持つことがありますが、時代が変われば、その力は不要だと気付いた人々から放棄され弱体化することは多々あります。
太極拳という拳種の基本概念や王宗岳氏の著述した太極拳論のような素晴らしい武術理論に沿って行っていく、ということは太極拳という項目である以上準じることは大事です。
太極拳もスタイルややり方によっては前持って決められたマニュアルに沿ったものをやっているだけ、というものも多いと感じています。
それはあくまで与えられた型を行わされているだけであり、自分の意志でなければそのマニュアルや作った人たちに支配されてクローンをやっているのと同じです。
「その人を視たいと思えば、その人の友を視よ」
という言葉があります。
私は武術観で思うに「その人の心を視たいと思わば、その人の拳を視よ」
といってもいいと思います。
その人の行う拳理には、必ずその人の心が表されます。あるいはその人の属している「流派の想い」が出てきます。
「心地良く」感じれば「その人の心地良さ」の表れであるし、
「邪」な雰囲気を感じてしまった時は「その人の邪な気」が外に現れていると思います。
この震災をきっかけに
ありとあらゆる組織を今から数十年間を率直に振り返ってみて思うのは「ハッタリ」や「誤魔化し」や「能力ある者からの搾取の繰り返し、そしてポイ捨て」「隠蔽」「妨害」
そして「偽装」といった、今迄のような誤ちの時代に載せられてしまった人々は多いです。
そこからの脱却、あるいは洗脳からの脱出をした方々も増えたと思います。
私はこれからの日本をまだまだ大きな可能性を持っているのは「支配されなかった」意志の強い方々はこれからも大丈夫だと思います。
何事も意識あってこそ、意志あってこそだと思います。
私がいつも皆さんにお伝えしているのは、すべて「功法」の重要性についてです。
やっぱり大切にしているのは「太極拳」の技法を行うことによる「功法」の意味・目的・理由・効果についてです。
日本でも多くの種類の太極拳が広まり、良いことだと思っています。
しかし、これからは「食育」という新しいジャンルの学問が発生したのと同じように、本当の身体を育てる運動の「体育」として、
身体にとって血肉筋骨を作り、五臓六腑など内臓の動きを向上させ、
同時に大脳を活性化して、バランス感覚を向上させながらも運動器において支える力を見に付けられる運動をどのようなものでも功能のあるものはどんどんと広まって欲しいと思います。
私の学習、訓練、研究、毎日の実践の中からの意見としては「導引」と「五禽戯」での究められた運動哲理は素晴らしく、これ以上に越えるものは今後1000年経っても出てこないと思っています。
ですから私の健身養生部門では必ずこの2つを身体で理解してもらってから八段錦や太極拳、形意拳などの内功を勉強してもらっています。
私は太極拳では陳式、楊式、孫式の練拳を行います。
それに太極築基功の技法を学んでから、それを重視して普及指導にあたっています。
その中で、私は太極拳を行う皆さんには「”自分の意識や意志”をはっきりと身体に現してみてください」と言っています。
太極拳などの内功の技で大切なことは、遅いのではなく 流れる時間と空間を認識しながら四肢を通じて、ありとあらゆる体の部分へ反射や反応を繊細に感じながらも攻防意識を伴い、運動し続けることです。
つまりは究極のところ、人間は意識がしたところは想いを通じて動かせることが出来て、動かせなくなって、意識や意志が届かなくなったことを「病」と呼んでいます。
ですから「意識・意志の力」が大事だということです。
そしてこれを全体的に重視しているのにも理由があります。
何故なら多くの日本人は今迄に行った訓練では「誰かがこうしろ」といったから、というような与えられたマニュアルを覚えただけ、あるいは覚えて伝えてきただけ、という、
自らの「意識や意志」を表現すること、高めることをさせてもらえなかった、あるいは知らぬ間に放棄させられていた、またあるいは奪われたことがたくさんあるのを、
私ははるか前に気付き、知っています。
ですから、常に「作られた何か」に支配されてしまっている方々が圧倒的に多いと感じています。
時代の作る雰囲気というのは大きな力を持つことがありますが、時代が変われば、その力は不要だと気付いた人々から放棄され弱体化することは多々あります。
太極拳という拳種の基本概念や王宗岳氏の著述した太極拳論のような素晴らしい武術理論に沿って行っていく、ということは太極拳という項目である以上準じることは大事です。
太極拳もスタイルややり方によっては前持って決められたマニュアルに沿ったものをやっているだけ、というものも多いと感じています。
それはあくまで与えられた型を行わされているだけであり、自分の意志でなければそのマニュアルや作った人たちに支配されてクローンをやっているのと同じです。
「その人を視たいと思えば、その人の友を視よ」
という言葉があります。
私は武術観で思うに「その人の心を視たいと思わば、その人の拳を視よ」
といってもいいと思います。
その人の行う拳理には、必ずその人の心が表されます。あるいはその人の属している「流派の想い」が出てきます。
「心地良く」感じれば「その人の心地良さ」の表れであるし、
「邪」な雰囲気を感じてしまった時は「その人の邪な気」が外に現れていると思います。
この震災をきっかけに
ありとあらゆる組織を今から数十年間を率直に振り返ってみて思うのは「ハッタリ」や「誤魔化し」や「能力ある者からの搾取の繰り返し、そしてポイ捨て」「隠蔽」「妨害」
そして「偽装」といった、今迄のような誤ちの時代に載せられてしまった人々は多いです。
そこからの脱却、あるいは洗脳からの脱出をした方々も増えたと思います。
私はこれからの日本をまだまだ大きな可能性を持っているのは「支配されなかった」意志の強い方々はこれからも大丈夫だと思います。
何事も意識あってこそ、意志あってこそだと思います。