武術を何故、行っているかと以前はよく聞かれました。

今現在の感想からいえば「野生動物としての勘=直感」が、すればするほど鋭くなるからです。

そして瞑目存想や呼吸法などの静気功、導引や五禽戯などの動気功を行うことを通じ、

素早く鋭くなり過ぎる感覚を穏やかに鎮めて、

いつでもフル稼働で動き出せる心身の働きを常に継続維持ができる中で一番武術運動が優れているから、といえると思います。

今の世界や日本は大きな試練に立たされています。

というよりは気付かない人が多すぎることが、小さくできるものを大きくしてしまい。

大きくできるものを小さくしてしまっています。


様々なところで多くの人を見かけますが「直感」を鋭くできるよりは、鈍くさせられているようです。

鈍さゆえに情報を集めようとするようですが、遅いものは既に遅く。

自然体での「自発的気付き」からくる速さの中での速さが、物事のすべてを決定していくのです。


真の速さは、風が通り過ぎるほどの何気ない存在で、

仮にミスが出ても知られざる前に修正が出来るほど時空には余裕があります。

遅いもので更に遅いものは、その姿にチャンスを感じるものは少ないように感じています。


日の出る前から東の空を見ていれば輝き昇る太陽を見ることが出来、

日の沈んだ後の西の空を見てもお日様の姿は見えないものです。