ありとあらゆる面で「共生社会」の重要性がいわれています。

物事は、それが失われた時にはじめて多くの人々が気づくものです。


私はずっと武術運動を通じて、自然体で大きな生きがいのある楽しい共生社会の実現。

そのことばかりを今までに考えてきました。


何故なら、それがこの20年間で失われつつあってを気づいていたからでした。

実際のところ、行政組織や営利企業の人間はみんな口先だけです。

実現したいと真剣に考える人は、そういった組織にはいないと思います。

そう語ればイメージアップになるから・・行政の補助を受けられるから・・


今や本当に日本社会の大きな重荷を背負わされているのは30~40代の世代だと思います。

この世代は、やらされなければならない任務が多く、逃げ道も許されない、

そんな教育(洗脳)を受けて、辛抱と忍耐と我慢を強要させられてきました。

意外!?にも私の上の世代や若い世代に共通すると私が感じるのは、

そこそこに逃げて、そこそこにプチ目立だとう精神を図って自己利益を得ることに意識を使っている人が多い、ように思うことがあります(特に男性)

ゆえに彼らに精神世界における深い「自我」はなく、

場当たり的で浅くて軽薄な「エゴ」だけは強いようです。


団塊の世代に影響・洗脳され、あるいはその次世代。

周りに配慮はなく、自己への配慮は強く求めているようです。


私は政治家ではなく、経済界で影響を持つ大企業の一員でもありません。

少なからず関連していても、彼らのような存在にまったく興味はないです。


しかし毎日の経済と政治の流れには敏感です。

これからの1年後、そして3年後、5年、そして10年後。

我々は独立した共同体で、若きは老をねぎらい、

老は若きに教え諭す。

あるいは幼児を育てるのに自然の流れで手伝い、未来を築く世代を養っていく。

中間世代は、生き甲斐で活動に燃え その働きを日々益々に活性化させる。

これができない日本社会。

それが現実、それを作った人たちが現場。

そういった彼らとは距離をおきます。

(勝手にこれから嘆いて適当にその世界内で解決してください)


新しき世界の構築の準備を、今までにやってきました。

いいかたちですすんでいると思います。

この「国家」を駄目にし続けてきた人々と、我々とは異なる存在。

しかし、我々は今の存在としてはまだまだ小さな「村」であり、

そしていつかゆっくり育ち、いずれ大きな理念と共に成長するだろう。

それは、空から落ちてきた小さな一滴の雨粒が、

やがて大きな雨になり、

大きな川へ流れ込み、力を持って大海へと注いでいく。

そして、また空へと還る。

そんな存在になれるだろうと信じています。