時折、街中を眺めていると不思議に想うような現象が日本ではよく起こります。

私は武術をずっとやってきているおかげで、体の感覚はすべて良いと思っています。

意識呼吸法をも鼻呼吸を自然に行う習慣があるので嗅覚もいいと思うし、聴力もよいと思います。

視力もまだ両目とも1、2~1、5はあります。

味覚も30代の前半に実際にアメリカへ行って現地での「食」の問題に気付き、

特に気をつけるようになってから舌の感覚も増したと思います。

触覚は皮膚感覚ですから毛穴の開き閉じ具合いも体育運動が仕事なので程よく敏感さをもっています。


単にこれは自慢したいことではなく、

いつも自分自身の身体感覚が良好を維持し続け、それを堅持しながらも向上していくことだけに意識をおいて生活をしています。

感覚が鋭い、という言い方がありますが良好だから気付き、

倫理道徳を守る精神的に健全な人は今のこの日本社会は「?」と感じる人も少なくないと信じています。

ふと先ほど街の中にいて ある男性を見ていて気付いたのは「実は単に鈍いだけだったりして・・」ということでした。

世の中や人がおかしくなっても「知らぬふり」や「無関心」を決め込んで

自意識をそこからそらせるような行動に走る習慣が祟って本当にただ「鈍い」感覚になってしまっているように思いました。

これはよく「気付く人」が「気にしない」ように意識転換をすることではなく、

本当に知覚が鈍くて脳が反応しない、という現実のようです。


ですから気付く人は一時期「神経質」なんて言われてしまうことがありましたが、

単に「脳の反応が遅い人、あるいはしない人」が増大したのかも知れません。


中国や先月は香港などでよく思うのは人間が活気付いて

当然と「いきいき」としていることです(日本では第一次産業に携わる皆さんはいきいきしていますね)

そこで気付いたのは「鈍い人」を「敏感」にすることはきっと難しいので、

自分がとばっちりで嫌な思いをしないためには程よく距離をおいて

鈍い人を気付かせていく訓練も大事なのではないか、なんてことも思いました(それ以上鈍くさせないために)


大切なことは「よく気付く良心的な人」を鈍い人にさせてはならず、

更に心を傷つけないように守ることも大事なように思います。

(しかし・・これからの若年化が更に心配・・)

実は今の日本社会は元気がないのではなく、ビジネスも発展できないのではなく、

単に鈍い人が図々しくて気付かなくてか、

気付いている人にチャンスを回さないようにしているのでは・・なんてことも思ったりします。