明~清の時期は中国武術の集大成された時代といえます。

明(みん、1368年 - 1644年)清(しん)は、清朝(しんちょう)ともいい、1636年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国を支配した最後の統一王朝。

たくさんの流派が林立し風格や方法がまったく異なる拳種が生まれ同時に多くの器械術も発展し、

中国伝統文化と武術が融合を果たして完成し、理論体系も優れた体育運動としても確立できた時期です。

明~清の時代には多くの項目が創編され、新たな拳術も生まれました。大量の武術著作が記され研究も深まり規律に則った運動形式になりました。

これらには合理的な動作の連続性や定まった路線を通り、套路はまとまった一つの運動方法として哲理が完成し、同時に攻防技術や戦術方法の理論ともまとまったものとして成り立ちました。

社会における武術のおかれた存在も変化し、丈夫な身体作りをしながらそれらを堅持し、精神修養性も向上し、娯楽鑑賞性としても水準が高くなり

様々な面からみて精神と肉体、娯楽性と芸術性すべての面から考えた防身功能を最重視した武術的体育性として更に高まりました。

流派林立

時代によって武術家は高手を師と仰ぎ、伝授され様々な面において吸収・融合・進歩させて今日に至るまで来ました。

この中には全く風格や技法、信念にも特徴があり有名なものには、少林・峨眉・武当山などの流派があります。

清代に至ると更に多くの武術流派が生まれ武術界の繁栄は大きなピークを迎えました。

その武術流派は更に増え続けその項目の運動特徴として「内家拳」と「外家拳」と分類するようになり、外家拳は少林武術から多く発展したものを指し、内家拳には太極・形意・八卦と特徴を区分するようになりました。

そして更に地域を分類して「南派」「北派」と分けたりもしました。多くは山や川を一つの分離地点として考えられました。

山で分ければ武当派、峨眉派などがあり、川では長江流域や黄河流域、珠江流域で分かれた拳派があります。

明代の拳種が林立した傾向や特徴としては拳や器械術においては長器械・短器械・軟器械・双器械などに発展し、これらの演練される武術全体を総称して「十八般武芸」と呼ばれるようになり、

清代においても更に内容は多彩になりその種類はこの時期においてで何百種類という状況が生まれました。

武術組織の大量出現

清代における組織の特徴は民間の「秘密結社」としての「社」が非常に活躍した時代でもありました。

それは闘争的需要などから集まった「社」の存在や

武術活動を更に発展普及させるための武術館としての「館」の存在も大きく広まり、文化としての教育と訓練を担い重要な役割を果たしました。

そのために武術はより広範囲において伝授されていきました。

明~清の時期には大量の武術著作が世に出ました。

明代には「紀效新書」「練兵実記」「練兵雑記」「武編」「江南教略」「陳記」「耕余剰記」「持衡」「武備志」などがあります。

清代に有るのは「手臂録」「大棒説」「拳経、拳法備要」「内家拳」「萇氏武技書」「六合拳譜」「太極拳譜」などです。

これらの武術著作は系統的に中国の歴史と結びついており、長い累積による武術運動的経験があり、常に研究尽くされて築かれてきたものです。

多くの套路技術、攻防格闘の技巧・戦術理論。

中国武術の特徴は人の持つ整体思考から出発し、

人体における内在的な意識との連係やその運動規律を把握できる「術」として発達しました。

これらは長年にわたる膨大な数の人々の研究の精華であり、これらが伝統文化として結集し形成できたのです。