これから時々、中国武術理論を書いていきます。興味のある方はどうぞ。


原始社会における武術

中華武術は悠久の長い歴史の伝統文化の中から育まれてきました。

その歴史の中からは創造発展を繰り返してきました。

しかし王朝によっては武術を禁止されたりすることで低迷期もありましたが、

それから多くの時代の中で繰り返しを経ながら 今日まで様々なスタイルで伝承されてきました。

今や世界中に広まり更に大きな発展期に入っています。

この豊富な内容は拳術、器械から更に套路(とうろ=ルーティーン)

や対抗性の技撃形式もあり、自分自身の強靭な肉体を築き、

護身術としてや病気の原因ともなりがちな存在からも防身自衛の力を高め、

技会や表演(パフォーマンス)などでも楽しめる娯楽性もあり、

交流技芸、友好の輪を広め増進させる活動にも繋がり、

精神力を磨き、情操性を豊かにさせる効能もあり今や世界中の方々に好まれ大切にされています。


武術的概念

武術の概念、これは長い歴史から遡り「闘争」という原点から考えていかなければなりません。

歴史というのは時代によって同じではなく、

その中でも古く原始社会の中での「自衛」の観念と「攻撃・殺傷能力」というものは現代とは必然性が大きく異なります。

最も古い技の成り立ちでは、原始社会における動物を狩猟することから始まり、それを「搏撃」と呼び、

春秋戦国時代の時には「技撃」といい、漢の時代からは「武芸」という名称を用いるようになり、

「武術」の最も古い記述には中国5世紀頃の南北朝時代の梁の太子の著述の中に出てきます。

しかしこれはあくまで指しているのは軍事技術のこととして表記しているので一般的には「技撃」と「武芸」が多く使われていたことがわかります。

中華民国初期から「国術」「功夫」と称し、中華人民共和国から「武術」というようになりました。


原始社会における武術

中国武術の起源は原始社会人たちの狩猟のための労働から始まりました。

原始時代の人間たちは自分たちが生存していくためには食用とした動物たちとの格闘(搏闘)をしなければなりませんでした。

そのために原始人たちは狩猟のために大量の工具と同時に武器を作り出しました。

それは大きな石の錘から始まり、石刀、骨から作った鋭い矢じりなどから棍棒などです。

そこから禽獣たちとの闘争があり、その中で動物を追いかけるために走り、跳び上がったり、転げ回ったり、そこから拳や足技を繰り出し、そこから叩く技術や刺す、切るなどの行為を自然発生的に行うようになりました。

これらの原始的で素朴な技法から始まり、それらを攻防技術への技能として発展し、更に技巧的になっていきました。

そこから更に攻防動作の方法を姿勢などを意識して工夫していくことでより生産性を上げることができるようになったのです。

これらが中国武術の原点になりました。

それから歴史が経つうちに動物だけでなく、人類は人間同士でも闘うようになっていきました。

ここから「自分たちの一番大切なもの」を「何があっても守る」という意識の萌芽でもあります。


氏族などが出てくるようになってからは、部落の間で闘争が起こるようになり、

人類の発展とともに戦争へと用途が移り変わっていったのです。

これからの「武力」は敵となった闘う相手を倒し、富や財産を奪うような手段としても扱われることが多くなり、

そこから自衛と攻防の両義を含んだ「武術」は古代の戦闘と共に発展するようになったのです。

新石器時代の武具では石の刀以外にも、石の矛、石の斧、石槌などが作られ、発展したものでは弓が発明されたことです。


原始社会人たちの闘争の歴史的な進歩に伴い、起こったのは闘争のための「技撃・技術」を

人前でのデモンストレーションとして演じたりすることで格闘能力の示威を表し

組合となるか戦いとなるか、と判別するという方法・手段として用いられるようになりました。

これが後に「武舞」という概念の萌芽となり、より大きな演練技術の展開に繋がりました。

そしてこれらは原始宗教儀式の中にも取り入れられ、

部落の首領の前で行い評価してもらう、という比武といいうかたちが出来ていき、これが比賽(競技会)の原点となったのです。