今日は横浜でのクラブで指導を終えてから筋トレを行い、ストレッチを入念にこなしてから、
プールでのんびりと水泳をして、そしてゆっくりとジャグジーとサウナでリラックスして先ほど帰宅しました。
やっぱり運動は最高です。
心身共に至福の境地を想います。1週間の疲れが出てきた時は無理せず休むのですが、
調子の上がっている時はしっかりと空いた時間はトレーニングをしています。
心身すべてがリラックスしていると、脳の感覚は冴えてきて
ふとありとあらゆる記憶が直列的にも並列的にも動き始めて 歴史的な時空の中を逍遥し始めます・・
1983年の13歳の秋から武術を始め、時の流れの中で全日本大会などの国内競技会にもスポーツ武術競技の選手としても頑張りました。
2000年のベトナムでのアジア選手権に出た後、2001年前後からは本場中国で行われる国際大会が俄然面白くなり、
横浜武術院を立ち上げてからはメンバーを引率し、本場の青少年たちや民間の老武術家と一緒に比武をするのが大好きになりました。
そして2002年に研究や学習や訓練地域を古巣の上海体育学院や安徽省武術協会に戻し、
馬王堆導引術や健身気功五禽戯を恩師の邱丕相先生や上海体育学院の先生方から世に出る前にいち早く学んだことがきっかけで導引と五禽戯研究をはじめ、
その五禽戯総編プロジェクトチームが五禽戯の故郷を訪れて研究していたことを知り、
自分の武術生活25周年をきっかけに2007年から3回に渡り、直接中国安徽省亳州市を訪れ
日本人第一号として 本場正宗伝統 華侘五禽戯 第57代目伝人の薫文煥老師や第58代の周金鐘、修海燕老師に指導を受け学ぶ研修も行いました。
いつも自分の可能性、自分たちの可能性、頑張る皆さんのすべての可能性を信じて努力をし続けています。
今年のGWは久しぶりに日本にいたので武術院の集中特訓をやりました。
本当はどこか緑に囲まれたところで合宿をと思ったのですが、宿泊施設などに申し込むにも準備が遅れたので今回は短期集中の練習会で頑張りました。
昨日はいい感じで棍術の対練も進みました。槍対刀も始まり、館内は活気で溢れていました。
小学3年生の練習生の一人が側空翻ができるようになって、メンバー全体が明るく勇気付けられた瞬間もありました。
「中国武術」という運動の世界を知った人はみんな「幸福感」を知ると想います。
その幸福感は自分自身の「心身:身体と精神」が輝ける可能性を理解できるからです。
他の国の格闘術や日本の武道も素晴らしいです。
私も小学1年生から6年生まで剣道と水泳を共に6年間やっていました。
両親の希望で中学生になったら好きなことをやって良い、小学生まではとにかく言うことを聞け、
といわれ実行しました。
それは正しかったと思います。
そのおかげで日本武道の精神や技を体感できました(高校では柔道が必修科目でしたので柔道もやりました)
子供ながらに剣道の先生を見ていて、腰が痛いとか肩こりが直らん、とかいつも嘆いていたのを覚えています・・そうか年配になると体は動かなくなるのか、そう思いました。
衝撃的だったのはカンフー映画などで描かれる老武術家(実際は吹き替え)が身軽にひょいひょい動いているのを映画などで見ましたが、
1984年の日本武道館で中国武術代表団で何福生先生や朴文徳先生の技を実際に目の前で拝見して物凄く感動をしました。
「自分も、将来は あの先生のような人間になりたい」
それだけが心をかけめぐりました。
翌年1985年、16歳の時に上海を初訪問して徐文忠先生にお会いでき指導して頂きました。
もう70歳を過ぎているのに本当にひょいひょいとしなやかな武技をこなしながら動けて、素晴らしい精神力と真の武徳に更に感動しました。
この時はメインの特訓は上海体育学院の名教授である邱丕相先生に学びました。
帰国後、この関連から正式に恩師杜進先生から学びました。
これから後に1986年から徐文忠先生のお嬢様である徐淑貞先生にも学び、師匠楊承冰先生に学びました。
この縁から徐先生の高弟である心意六合拳の名手であった張品元先生、馮正宝先生や まだ幼かった李連傑・ジェット・リーが1974年での初戴冠を得た時の中国の全国大会では、女性部門での刀術の優勝者である上海の名将王金香先生にも学びました。
(以前 東京に来日され武術普及を努めた王金良先生はお兄さんです)
ちなみにこの年、1974年の大会での男子槍術で規定槍術の優勝者は我が師、楊承冰先生で自選槍術では李連傑に初めて王座を譲り2位になってその後ジュニア部門を育成がメインだということを知り、競技を引退したのだ、という経緯がありました。
このことから多くの事情を知り、
そこから、当時1985年~1987年まで多くをリアルタイムの中で中国共産党と台湾に渡った国民党の関係における武術世界での対立や国交断絶で家族離れ離れになった事情。
そして日本国家との政治的関係・・様々な実際の中で知り 過去~現在~未来を 考えに考えることをするようになりました。
私は今、日本だからこそ できる新たな可能性を考えて実行し続けています。
今現在中国大陸には13億5000万人を超える人々たちを支えてきた知恵と工夫が集積された400年の歴史を持つ太極拳や2000年の歴史を持つ 導引・吐納の術・気功を含む「中国武術の世界」
これ以外にも伝承は台湾や香港、タイやシンガポール、マレーシアなどの東南アジアに数多く残っており、そこからイギリスやフランス、更にアメリカなどにも広まりました。
そこから西洋の運動技術や医科学とも連係が起こり、そして今現在があります。
ここに、我が日本の食文化や美しい環境、そして繊細な技術や能力が多く結集したらもの凄いビジネスにもなると思うし、
それが結集できたら 更にこの世界の長寿国の日本がまた新たな世界における「楽園」になれると信じています。
今日本の多くは、こんなに恵まれた風土の国に生まれながらも、
己の、可能性を放棄している人々がかなり多くなりました。
だから暗いニュースが必然的に多くなるのです。
しかし、これはメディアを動かす人たちの視聴率を上げたいという関心事=精神状態に過ぎないのだから、
これに早く多くが気付いて彼らとの付き合いを「止めよう」
これが大事。
暗い人たちは暗い人たち同士でやっていてください。
毎日、明るいニュースも実は周りを見ればいっぱいある。
僕らだけでも周りを見ればいっぱいある。
それは「可能性を信じている人たち」が創る世界。
我々はこの世界の住人です。
元気で頑張れる人たちが集まって、身近なところから我が祖国の日本を明るくしよう!!
プールでのんびりと水泳をして、そしてゆっくりとジャグジーとサウナでリラックスして先ほど帰宅しました。
やっぱり運動は最高です。
心身共に至福の境地を想います。1週間の疲れが出てきた時は無理せず休むのですが、
調子の上がっている時はしっかりと空いた時間はトレーニングをしています。
心身すべてがリラックスしていると、脳の感覚は冴えてきて
ふとありとあらゆる記憶が直列的にも並列的にも動き始めて 歴史的な時空の中を逍遥し始めます・・
1983年の13歳の秋から武術を始め、時の流れの中で全日本大会などの国内競技会にもスポーツ武術競技の選手としても頑張りました。
2000年のベトナムでのアジア選手権に出た後、2001年前後からは本場中国で行われる国際大会が俄然面白くなり、
横浜武術院を立ち上げてからはメンバーを引率し、本場の青少年たちや民間の老武術家と一緒に比武をするのが大好きになりました。
そして2002年に研究や学習や訓練地域を古巣の上海体育学院や安徽省武術協会に戻し、
馬王堆導引術や健身気功五禽戯を恩師の邱丕相先生や上海体育学院の先生方から世に出る前にいち早く学んだことがきっかけで導引と五禽戯研究をはじめ、
その五禽戯総編プロジェクトチームが五禽戯の故郷を訪れて研究していたことを知り、
自分の武術生活25周年をきっかけに2007年から3回に渡り、直接中国安徽省亳州市を訪れ
日本人第一号として 本場正宗伝統 華侘五禽戯 第57代目伝人の薫文煥老師や第58代の周金鐘、修海燕老師に指導を受け学ぶ研修も行いました。
いつも自分の可能性、自分たちの可能性、頑張る皆さんのすべての可能性を信じて努力をし続けています。
今年のGWは久しぶりに日本にいたので武術院の集中特訓をやりました。
本当はどこか緑に囲まれたところで合宿をと思ったのですが、宿泊施設などに申し込むにも準備が遅れたので今回は短期集中の練習会で頑張りました。
昨日はいい感じで棍術の対練も進みました。槍対刀も始まり、館内は活気で溢れていました。
小学3年生の練習生の一人が側空翻ができるようになって、メンバー全体が明るく勇気付けられた瞬間もありました。
「中国武術」という運動の世界を知った人はみんな「幸福感」を知ると想います。
その幸福感は自分自身の「心身:身体と精神」が輝ける可能性を理解できるからです。
他の国の格闘術や日本の武道も素晴らしいです。
私も小学1年生から6年生まで剣道と水泳を共に6年間やっていました。
両親の希望で中学生になったら好きなことをやって良い、小学生まではとにかく言うことを聞け、
といわれ実行しました。
それは正しかったと思います。
そのおかげで日本武道の精神や技を体感できました(高校では柔道が必修科目でしたので柔道もやりました)
子供ながらに剣道の先生を見ていて、腰が痛いとか肩こりが直らん、とかいつも嘆いていたのを覚えています・・そうか年配になると体は動かなくなるのか、そう思いました。
衝撃的だったのはカンフー映画などで描かれる老武術家(実際は吹き替え)が身軽にひょいひょい動いているのを映画などで見ましたが、
1984年の日本武道館で中国武術代表団で何福生先生や朴文徳先生の技を実際に目の前で拝見して物凄く感動をしました。
「自分も、将来は あの先生のような人間になりたい」
それだけが心をかけめぐりました。
翌年1985年、16歳の時に上海を初訪問して徐文忠先生にお会いでき指導して頂きました。
もう70歳を過ぎているのに本当にひょいひょいとしなやかな武技をこなしながら動けて、素晴らしい精神力と真の武徳に更に感動しました。
この時はメインの特訓は上海体育学院の名教授である邱丕相先生に学びました。
帰国後、この関連から正式に恩師杜進先生から学びました。
これから後に1986年から徐文忠先生のお嬢様である徐淑貞先生にも学び、師匠楊承冰先生に学びました。
この縁から徐先生の高弟である心意六合拳の名手であった張品元先生、馮正宝先生や まだ幼かった李連傑・ジェット・リーが1974年での初戴冠を得た時の中国の全国大会では、女性部門での刀術の優勝者である上海の名将王金香先生にも学びました。
(以前 東京に来日され武術普及を努めた王金良先生はお兄さんです)
ちなみにこの年、1974年の大会での男子槍術で規定槍術の優勝者は我が師、楊承冰先生で自選槍術では李連傑に初めて王座を譲り2位になってその後ジュニア部門を育成がメインだということを知り、競技を引退したのだ、という経緯がありました。
このことから多くの事情を知り、
そこから、当時1985年~1987年まで多くをリアルタイムの中で中国共産党と台湾に渡った国民党の関係における武術世界での対立や国交断絶で家族離れ離れになった事情。
そして日本国家との政治的関係・・様々な実際の中で知り 過去~現在~未来を 考えに考えることをするようになりました。
私は今、日本だからこそ できる新たな可能性を考えて実行し続けています。
今現在中国大陸には13億5000万人を超える人々たちを支えてきた知恵と工夫が集積された400年の歴史を持つ太極拳や2000年の歴史を持つ 導引・吐納の術・気功を含む「中国武術の世界」
これ以外にも伝承は台湾や香港、タイやシンガポール、マレーシアなどの東南アジアに数多く残っており、そこからイギリスやフランス、更にアメリカなどにも広まりました。
そこから西洋の運動技術や医科学とも連係が起こり、そして今現在があります。
ここに、我が日本の食文化や美しい環境、そして繊細な技術や能力が多く結集したらもの凄いビジネスにもなると思うし、
それが結集できたら 更にこの世界の長寿国の日本がまた新たな世界における「楽園」になれると信じています。
今日本の多くは、こんなに恵まれた風土の国に生まれながらも、
己の、可能性を放棄している人々がかなり多くなりました。
だから暗いニュースが必然的に多くなるのです。
しかし、これはメディアを動かす人たちの視聴率を上げたいという関心事=精神状態に過ぎないのだから、
これに早く多くが気付いて彼らとの付き合いを「止めよう」
これが大事。
暗い人たちは暗い人たち同士でやっていてください。
毎日、明るいニュースも実は周りを見ればいっぱいある。
僕らだけでも周りを見ればいっぱいある。
それは「可能性を信じている人たち」が創る世界。
我々はこの世界の住人です。
元気で頑張れる人たちが集まって、身近なところから我が祖国の日本を明るくしよう!!