今日も一日朝の屋外太極拳・五禽戯教室と午後の武術の練習まで元気いっぱいに活動できました。
それぞれに多く収穫のあった練習だったと思います。
午後の基本功の練習で「基本功」の在り方について講義をしました。
そこで我々の武術理念の概論でもあるテキストを紹介しておこうと思います。
当然本場の教材(中国語)を基盤としています。
先ず「人民体育出版社」発行の全国体育学院教材委員会の作った1990年版
「武術上・下」の教科書(1985年版を更に改定したものです)
「北京体育学院出版社」の「全国武術訓練教材上・下」同じく北京体育学院出版社の「武術理論基礎」
そして「中国武術理論教程、中国武術段位教程の全5巻」
これは第1冊めの一部分だけが日本語版「長拳入門とレベルアップ」という本が
ベースボールマガジン社から出ています、この本の第一節に武術二十四要が翻訳されていますが、
これは長拳に限らず、多くの武術門派と共通するものです。
(現代長拳は一番特徴的に表せた産物というべきでしょう・・長拳を練習している人に買って欲しいということもあると思います)
そして中国武術協会教研室主任である 康戈武先生の「中国武術理論概論」にも準じています。
気功は中国健身気功管理中心の「健身気功全4冊」
第57代伝人薫文煥老師の著作「華陀五禽戯」です。
そしてこれからだんだんと再発掘されていくであろう文献などを加味して考えていきます。
私は指導するときは、よくテキストを確認してから行っていますが、
ここでは私は非常に多くの武術套路を指導にあたり
技の「勘違い」をしないために確認作業をしています。
何故なら一度うっかりでも間違えて伝達してしまうと後で修正が難しいことがあるからです。
今日は「物差し」の概念をお話ししました。
大工の優れた者は感覚が確実であっても人間のうっかりミスを抑えるためにも
しっかりと確認をする習慣を身につける、ということを大事にしています。
日本での武術指導の多くはあくまで個人的経験からくる感想や
イメージ映像資料からの想像で言っていることが多くあるように見えますが、
我々はあくまで本場と同じ教材を用いて等しい感覚を大事に行うことをしています。
ここで記しておきたいのは
日本の武術はまだまだよりきちんとした理論と実践を通じ
深めながら広めていくことが必要だと感じています。
認識ミスもかなり多いと思います。
例えば「長拳基本功」という概念は誤りです。
正しくは「武術基本功」であり、長拳だけでなく「武術」の「基本功」です。
確かにこれは新中国(中華人民共和国)になってからのものですが、
スタンダードの武術基本訓練方法としては
中華民国、南京中央国術館の運動概念なども手本として吸収されています。
そこから「長拳」として
「太極拳」として「南拳」としての専門基本技術と身体制御方法と運動理論とに整理されています。
そして他の伝統武術の門派(台湾や香港、華僑にも伝わる十八般武芸)にも
それぞれ独自の「基本功」が存在しています。
そして「武術競技ルール」部門でも1980年代、90年代、97~2001年までの規定難度、
自選套路、そして最近の自選高難度規則と分類して考えなければならないのです。
ただ漠然としている方々も多く、
何とはなしの空想からくる自己流のイメージに走るのは個人の趣味の範囲は結構ですが、
きちんとした普及や指導をしていくという面ではきちんとした根拠や理論、医科学的な面からも
的確な事実に基づかなければならない、と思っています。
少なくとも我々武術院はその観点から、
あるいは正しい中国武術家からの実際の指導から得たものではないものは
評価対象としては考えないようにしています。
思いつきや空想や想像というものは伝統技芸という世界では大して意味はもたず、
あくまで個人的嗜好の範囲でしか通じないものになります。
(その方法や考え方の理解者や賛同者の中同士で通じ合うものには何の問題はありません、しかし運動哲学や意識には一貫性がなく 当然支柱となるものはないものが多く 周りへの強要や主張は遠慮してもらいたいと思う時があります)
そしてよく「長拳刀」とか「長拳棍」という表記も間違いです。
「長拳」は総称であり 門派ではありません。
「武術」の種目の中に短器械があり、その中に更に短兵器(刀・剣 各術)があります。
刀術・剣術の中に太極拳の身体技法の上に剣「太極剣」や太極刀・槍などがあり
同じく南拳の身体技法の上にある刀や棍、叉などがあります。
(所謂、90年代に作られた規定套路は伝統ではなく創作套路の内の一つです)
そして伝統門派でも形意門でも刀や大槍があり、蟷螂門にも剣があります。
おそらく名づけた人の経験の中からそういった表記になったのが理解できて、
そこに日本国内のいびつな知識になってしまっていることも判ります。
日本の武術界はこの10年間ぐらいの中で
もう一度再考・再編成しなければならない時期が近い将来に必ずやってきます。
我々は先駆として、日本人としての誇りと立場をしっかりして
中国と民間文化相互交流をしながら、研究、そして新たな発見につなげていきたいと考えています。
曖昧やいい加減、適当、思いつき、行き当たりばったりというのは一番最初に放棄しなければならないと思います。伝統技芸はクラシックです。
もし音楽ならば「ドレミファソラシド」の絶対的音感から始まり正確な音符を理解し、
それぞれの楽器を何度も何度も究める思いで音を奏で、そこで音楽ができていきます。
カラオケ気分も現代ではお気楽でいいのかも知れませんが、
クラシックで生きるということは違います。
クラシックは伝統の長い歴史の中で育まれ、自然淘汰の中でも必要とされて今日があります。
故に「伝統」は強いのです。
(※武術界でも なんちゃって系伝統武術がいますが、当然それは論外)
それぞれに多く収穫のあった練習だったと思います。
午後の基本功の練習で「基本功」の在り方について講義をしました。
そこで我々の武術理念の概論でもあるテキストを紹介しておこうと思います。
当然本場の教材(中国語)を基盤としています。
先ず「人民体育出版社」発行の全国体育学院教材委員会の作った1990年版
「武術上・下」の教科書(1985年版を更に改定したものです)
「北京体育学院出版社」の「全国武術訓練教材上・下」同じく北京体育学院出版社の「武術理論基礎」
そして「中国武術理論教程、中国武術段位教程の全5巻」
これは第1冊めの一部分だけが日本語版「長拳入門とレベルアップ」という本が
ベースボールマガジン社から出ています、この本の第一節に武術二十四要が翻訳されていますが、
これは長拳に限らず、多くの武術門派と共通するものです。
(現代長拳は一番特徴的に表せた産物というべきでしょう・・長拳を練習している人に買って欲しいということもあると思います)
そして中国武術協会教研室主任である 康戈武先生の「中国武術理論概論」にも準じています。
気功は中国健身気功管理中心の「健身気功全4冊」
第57代伝人薫文煥老師の著作「華陀五禽戯」です。
そしてこれからだんだんと再発掘されていくであろう文献などを加味して考えていきます。
私は指導するときは、よくテキストを確認してから行っていますが、
ここでは私は非常に多くの武術套路を指導にあたり
技の「勘違い」をしないために確認作業をしています。
何故なら一度うっかりでも間違えて伝達してしまうと後で修正が難しいことがあるからです。
今日は「物差し」の概念をお話ししました。
大工の優れた者は感覚が確実であっても人間のうっかりミスを抑えるためにも
しっかりと確認をする習慣を身につける、ということを大事にしています。
日本での武術指導の多くはあくまで個人的経験からくる感想や
イメージ映像資料からの想像で言っていることが多くあるように見えますが、
我々はあくまで本場と同じ教材を用いて等しい感覚を大事に行うことをしています。
ここで記しておきたいのは
日本の武術はまだまだよりきちんとした理論と実践を通じ
深めながら広めていくことが必要だと感じています。
認識ミスもかなり多いと思います。
例えば「長拳基本功」という概念は誤りです。
正しくは「武術基本功」であり、長拳だけでなく「武術」の「基本功」です。
確かにこれは新中国(中華人民共和国)になってからのものですが、
スタンダードの武術基本訓練方法としては
中華民国、南京中央国術館の運動概念なども手本として吸収されています。
そこから「長拳」として
「太極拳」として「南拳」としての専門基本技術と身体制御方法と運動理論とに整理されています。
そして他の伝統武術の門派(台湾や香港、華僑にも伝わる十八般武芸)にも
それぞれ独自の「基本功」が存在しています。
そして「武術競技ルール」部門でも1980年代、90年代、97~2001年までの規定難度、
自選套路、そして最近の自選高難度規則と分類して考えなければならないのです。
ただ漠然としている方々も多く、
何とはなしの空想からくる自己流のイメージに走るのは個人の趣味の範囲は結構ですが、
きちんとした普及や指導をしていくという面ではきちんとした根拠や理論、医科学的な面からも
的確な事実に基づかなければならない、と思っています。
少なくとも我々武術院はその観点から、
あるいは正しい中国武術家からの実際の指導から得たものではないものは
評価対象としては考えないようにしています。
思いつきや空想や想像というものは伝統技芸という世界では大して意味はもたず、
あくまで個人的嗜好の範囲でしか通じないものになります。
(その方法や考え方の理解者や賛同者の中同士で通じ合うものには何の問題はありません、しかし運動哲学や意識には一貫性がなく 当然支柱となるものはないものが多く 周りへの強要や主張は遠慮してもらいたいと思う時があります)
そしてよく「長拳刀」とか「長拳棍」という表記も間違いです。
「長拳」は総称であり 門派ではありません。
「武術」の種目の中に短器械があり、その中に更に短兵器(刀・剣 各術)があります。
刀術・剣術の中に太極拳の身体技法の上に剣「太極剣」や太極刀・槍などがあり
同じく南拳の身体技法の上にある刀や棍、叉などがあります。
(所謂、90年代に作られた規定套路は伝統ではなく創作套路の内の一つです)
そして伝統門派でも形意門でも刀や大槍があり、蟷螂門にも剣があります。
おそらく名づけた人の経験の中からそういった表記になったのが理解できて、
そこに日本国内のいびつな知識になってしまっていることも判ります。
日本の武術界はこの10年間ぐらいの中で
もう一度再考・再編成しなければならない時期が近い将来に必ずやってきます。
我々は先駆として、日本人としての誇りと立場をしっかりして
中国と民間文化相互交流をしながら、研究、そして新たな発見につなげていきたいと考えています。
曖昧やいい加減、適当、思いつき、行き当たりばったりというのは一番最初に放棄しなければならないと思います。伝統技芸はクラシックです。
もし音楽ならば「ドレミファソラシド」の絶対的音感から始まり正確な音符を理解し、
それぞれの楽器を何度も何度も究める思いで音を奏で、そこで音楽ができていきます。
カラオケ気分も現代ではお気楽でいいのかも知れませんが、
クラシックで生きるということは違います。
クラシックは伝統の長い歴史の中で育まれ、自然淘汰の中でも必要とされて今日があります。
故に「伝統」は強いのです。
(※武術界でも なんちゃって系伝統武術がいますが、当然それは論外)