アドバイス「advice」

忠告や助言をすること。また、その言葉。

いさめる:諫める ちゅうい:注意 

日本では様々な事象を和製英語で語ることも多くなりました。

私も当然に時と場合に伝えたい事柄を考えて、漢字的表現、ひらがな的表現、

そしてカタカナの和製英語を選択しながら話します。


その理由としては3つ考えられると思います。

長く使われてきた日本語・漢字の古いイメージの固定概念から別角度からの意識を想起させるため。

もう一つは表現に多くの含みを持たせたい。

もう一つは曖昧さを利用した宣伝・広告的概念、だと思います。

アドバイスもその一つです。意味は上記の通りです。

そこでよく私は考えるのは人々が、

所謂その「アドバイス」をするのは何のためか、というところです。


私の正直な言葉では人への「思いやり」の意味で行います。

(しかし「思いやり」も過剰になれば、ただ人を支配・コントロールをする、

ということにもなるので配慮が必要ですので、ここがいつも難しいですね・・)


間違った方向(その行き先が目指した理想とは異なる場所に向かっている・苦難を呼び込むような結果になる)の時に

メッセージとして言うことも多くありますし、こうやって記録しておくことも証拠になると思うからです。

しかし「アドバイス」という言葉は様々な形で使われているな、と思うこともあります。


それは注目を集めようという自己表現パフォーマンスが一つ、

そしてもう一つは嫉妬や気にくわないという理由で起こす悲観的観測・ネガティブキャンペーンがあると思います(これは個人個人の感じたそのままだと思うのです)


所謂、ただの目立とう精神や嫉妬からくるアドバイスは必ず見返りを期待して起こされているのを後々から見れば理解ができるでしょう。

(※この違いを見抜くのは難しくありません。深いアドバイスは本質的に正しい道理と真実に基づき歴史的変遷に応じていて、浅薄かで軽いアドバイスはその時々の個人的嗜好で気分的な思いつきから出てきます)


その原点とは、私がまだ10代半ばの頃に指導して頂いた、

杜進老師や、その師爺の徐文忠老師、楊承冰老師、

ここ数年はまだまだとても時間的には短かったのですが 

長い安徽省武術協会つながりでのとても大きな「縁」からご紹介されご指導いただけた 

伝統華侘五禽戯第57代目伝人薫文煥老師とその掌門人である周金鐘老師。


「思いやり」で教授して頂いた言葉は時間が経てば経つほど、その意味は強く大きくなっていきます。


そしてその言葉(口訣)をかけてくださった「想い」をしっかりと受け止められます。

正直10代には全く理解できなかった言葉が

20数年経ち活力を湧き出してくる「言霊」であった時に深い感謝を感じます。



最近私と同じ年のある有名な元プロ野球選手がかなり深刻な腎臓と膀胱排泄器官の機能障害で入院・治療しているという報道を見ました。

昨日「腎の気」について綴ったのは、これが理由でした。


たかが「日々の生活」されど「日々の生活」


人間は何をして良い、何をしてはいけない。

今のご時勢、「自由」という言葉の意味を履き違え、

大きな誤ちを冒し続ける人たちは日に日に結果としては「無能」になりつつあります。


はっきりしたいのは、

「やってはいけない行動」

それは「法律」に触れるからしては「ダメ」とかいう幼稚な考え方でなく、

放っておくと後々に初めは小さなことがもっと大きい深刻な大きな問題になり 

精神が病み いつも心配と不安に苛まれ、

それがだんだんと多くの人々へと悪しき伝播・広がっていく精神汚染、身体の機能不全を招くのです。

そこから脱却するには多くの人的負担もあり、費用と時間もかかり 

大きな「厄介」になる前に防ごうという気持ちからです。


今の世の中。

多くの情報を知ることでかえって混乱を招き、

解析能力が弱い場合は迷いに迷うそんな世界ができています。


人は誰でも最終的には「ひとり」


「因果応報」「自業自得」


気随気儘でやり放題、我儘・好き勝手にいて、後々自ずから心身の大きな不幸を呼び込み苦しむか。


身体を大事に、精神を大事に、

いつも一緒にいる大切な人々の健全と進歩・成長を大事にしながら、

本当に当たり前だけれども ささやかな幸福の中にいられるのか。

これらを直感で人はそれぞれに選び進んでいく・・

そんな場合によっては過酷で、普通なのだけれど 

感じ直さねばならない 今の時代の「自由」なのかも知れません。