「世の人々のために、頑張って生きていくこと」
これが大事なのは誰でも知っていると思います。
それはどういうことか、私のシンプルな考えとしては、
「A・B・C・D・E」さんがいたとして、
「A」さんは「B・C・D・E」さんがうまくいくために思い、いろいろと努力する。
結果として「自分自身のA」もうまくあって欲しいと素直な心地で願っている。
「B」さんも「A・C・D・E」さんたちがうまく行って欲しいと、願い努力をして
「自分自身のB」もよくあって欲しいと願い、頑張る。
「C・D・E」さんも同じように認識して努力する。
時に「A」さんや「B」さんが不調な時もある、その時は「C・D・E」さんがフォローしたり、
個人力を大いに発揮して活躍していい。
「A」さん「B」さんの調子が良くなって、
他の皆さんが不調になった時はそれぞれが状況に応じて協力し合い、ベストを尽くし合っていく。
時に、全員が不調の時は「たまには、こういうこともあるさ」と励ましあい、それぞれに辛抱もする。
全員が絶好調の時は高め合いながらも傲慢にならず、驕らずにコツコツと頑張っていく。
それに何時だって集団力と個人力を時と場合に応じて、大いに発揮して活躍して頑張ればいい。
この努力の輪が大きくなっていけばいくほど、良くなるものと信じています。
これらの基本は家族の信頼があり、
そして友人、仲間(上司・部下なども含む)同士の中で
こういったことを自然に学んでいく道理であり義理・人情であると感じています。
世の中がおかしくなっていったのは「A」さんが、
自分自身「A」が豊かになるために働け、稼げ、もっと持ってこい、
あまったら次の人以降にあげる、だからもっと多くが必要だから持って来い!
とやっているように見えています。
それに私は政治家ではない。
よく政治評論家の出てくるテレビ番組の影響を受けてか、
それでは「○○主義ですね」なんて簡単にレッテルを貼る人たちの風潮もあまり好きではありません。
「人のために」という言葉はみんなが知っているけれども、
実際のありとあらゆる日常の現場ではどういうことかを知らない人も少なくないのかも知れません。
確かに「自分のため」を考えることはありますが、
日本全国1億2千800万人が「自分のためだけ」を考え出したら
地球が1億2千800万個必要になってしまうことになります。
それぞれ助け合うのは人のために頑張るのは、
誰か、その時々に必要で「求めている」「ふさわしい人」のために、
いつか巡りめぐって、
天が与えてくれた自分のチャンスの順番が来たら遠慮せずに受け取めればいい、
そんなことをよく思っています。
誰にもチャンスの順番は必ず巡ってくる、
しかし世の中には大勢の人がいるのだから、
辛抱と忍耐(ただ無用の我慢はよくないこともあります)していることも大事です。
最近はいろいろと考えます。
世の中にいろいろと考えや意見はあっていい、違いもあっていい、
(それに時と場合が異なれば、自分の意見や想いがいつも正しい、と考えるのも不自然でもあるでしょう)
しかしいつか「自然淘汰」の中で必要なものは必ず存在できて残っていく。
想うに、今の世の中はとにかく慌しくて急がし過ぎるので、
「落ち着いて」「冷静」に「的確」で「適切」な
「思いやり」のある判断ができない人々が多く存在している時勢です。
だからこそ、そんな時にはゆっくりと待つのもいいと思うのです。