中国武術運動をずっと続けてきました。これからもずっと続くと思います。

何ゆえに「武術」でなければならなかった理由を考えてみたら、

かつては本能的に直感で理解をしてはいましたが、説明の表現力が未熟だったようです。

そんな 今だからこそいえることが出来ます。

身体全身くまなく、つまりは体を支えている 皮膚、骨、肌肉(筋肉)を鍛え、


内臓の動きを活性化させ インナーマッスルの動きもよくなり 反射、制御するための動きは


記憶力と想いを表現をする大脳の感覚を向上させることが出来ます。

そして攻防技術、意識を高める。自分自身の心身を煩わせられるものから「防ぐ」ということ。


攻撃能力は不用意に不適切な相手から技術的に、精神力の面でも侵攻させない為の能力を保持することも大事だと思います。

そうすることで常に安泰の感覚を保ち、睡眠も深く 食欲も良好になります。

ふと見てみると 


朝はいつも寝ぼけ眼 前日夜遅くまで飲んで 次の日は二日酔い 


当然脳のはたらきは機能するとは思えませんので 不機嫌、不快感に苛まれます。


定期的な運動はせず、仕事のストレスで精神力は低下、やけ酒、やけ食い(タバコ)が楽しみの一つ・・


こんな現代人は割合多くいるような気もします。


不景気から脱出できるどころか泥沼状態にはまったままになると思います。



ストレスで内臓は弱まり、バランスの取れていない食事を取るのが習慣になり、


睡眠時間が短い・・これでは自分の大脳も身体も壊してしまうことになるでしょう。

現代はストレス社会、ともいいますが 


そこから「守る」ことの多くの要素を中国武術運動では可能です。


逆説的にいえば、そういう世界が普通だからこそ 


こういった運動形態が中国大陸で長い年月を経てできてきた、ということだと思います。



やはり大事なことは、身体感覚を衰えさせないこと、良好な精神状態を維持すること、護身術としての兵法、技撃と防衛能力。武の技芸として書や詩、絵画にも通じる文化交流にも発展した世界です。

これらは、「武士道」侍文化のルーツとも関連していると思います。

日本の武道も私は好きですし、素晴らしいものがたくさんありますが、


自分は「武技」だけでなく、身体能力をいつも良好な状態にさせておく ということを重視したことで「武術」「導引:気功」「太極拳」を選択し 今日があるのだろう、と思います。

自分が「武術」を選んだのは、今から振り返ると始めたばかりの当時に身につけた者がなく、


体得する者になろうとずっと今までにやってきたのだと思いました。



先日「旅」という拙文を記しましたが、


今現在の自分になるために 少年の時の自分はやってきたのだな、とふと思いました。

時が過ぎていくことは、良いことです。

あたかも蝶の如く、幼稚な自分から抜け出しては、成長していく楽しみをいつも持っていたいと感じます。