日曜日に、親友で昨年の秋からコーチを担当してくれている大久保さんから
以前 NHKのBS1で放送された「カンフー 絶技 驚異の中国武術」の映像を借りたので見てみました。
これを見て、普通にただ「良かった」なんて言いたくないので
専門家としては、ブログ上で「感想」も入れて所感を述べたいと思います。
番組では少林派、武当派、峨眉派を扱っていました。
今回はとりあえず少林と武当まで、にします。
正則拳正 心邪則拳邪
心正しければすなわち拳も正しい。心が邪まであれば拳も正しくはあらず。(邪:よこしまである)
「これこそ正に中国武術・カンフーの心得」と言っておりました。
正しくその通りです。
私の個人的な感想として思うに「邪ま:よこしま」とは何か、
道理に適っていることなく、不自然なはたらきを望まぬ強引な力を使ってでも押し通そうとする動きや、
その人の心持ちを謂うと思うのです。
武徳比山重 名利草芥軽
武術の道を守る心は山より重く、名利は草芥より軽し
これを守り大切にしているかどうかで、その武術人たちの姿勢を見ることができると思います。
拳禅 力愛 不二 主守従攻 戒除殺念
拳と禅 力と愛は分かち難し
守りを主とし 攻撃は従とする。殺意は固く除くべし。
こういった武の精神をテレビで紹介されることを有難く思います。
先ず、少林派からです。
釈永信住職のインタビューがあり 武僧の斉眉棍はなかなか興味深い技の使い方が参考になりました。
次に柔拳をやった武僧(42歳)を見ました、元々はこれは 大悲拳(禅門太極拳)といっておりました。
現代少林寺では、伝統的な功法を行い 技法もずい分と復刻したように感じました。
私の感じていた80年代は。釈徳禅さんが住職であり、
もっと素朴な紅拳や羅漢拳など少林武術を行っていた時代でした。一指禅で有名な海灯法師もまだ健在だった時でした。
現代を見ると 硬気功でも 易筋経 八段錦を重視しているのが解かります。
次は、武当派です。
虚而実之 実而虚之 虚虚実実 運用之妙 存乎一心
虚の内に実あり、実の中に虚あり、
虚虚実実、運用の妙はただ一心のみにあり。
ここでも、いろいろと取材されていて、いい番組だと思います。
「相手の力を利用する」とありましたが、これも注釈が必要です。
ただ気随気儘に相手を利用するいう意味を丸呑みの解釈では、
相互の人間不信を招くような人物になってしまいます。
ここで謂うのは、先ず自分の鍛錬の中で上下左右の力を相い従わせ
補い合う感覚を身に着けることが大事だということです。
そして相対することになった場合、
もし、強い敵が力で攻めてきたら、弱い力でも、
相手の気付かない準備の弱いところ、能力の足りないところを攻めるという意味です。
現在の不況に例えるならば
世界に通用する一流大企業が弱体化してきた時に、
今までの小さな会社が強力なブレインと優れた技術で圧倒する、ということです。
柔の中に剛が育つことは、自然の原理です。
剛の中に柔を探すのは至難の事でしょう。
柔克く 剛を制すとはそのことです。
※人間はいつまでも弱弱しいままでは駄目である、
しかし剛強を誇っても虚しいままであり、
剛は柔を無理やりに冒しても得られることは何もなく、
大自然の法則に従っていれば、最終的には柔克く剛が制されるということです。
武当太極拳、そして玄武拳。
六合八法拳に少林拳の技を加えたようにも思います。同じく明代に成立した陳式太極拳の源流を感じます。
払塵 という長穂の原型を見ました。
「はたき」と訳されていましたが、あたかも日本でのポリエステル製の安価なものとは違うものです。
日本ではジャスミンもそうですが、
日本の一部の企業製品にありがちな、安っぽいものに代用され本来の品位を下げられていることにも留意が必要だと思います。
八仙棍
その中に 花をささげる 酒を飲む はしごを降りる ろばに乗る
動作は猿棍と酔棍を足して2で割ったような動作構成でした、
鶏が先か、卵が先か、これを垣間見た気がします。
やはり陰の力です。
そして若き道士が語りました。
「道」は山や海のように何でも受け入れます。
山は誰でも受け入れる、海もそうです。
人間の世界の貧富や善悪など何の意味もありません。
あるのは平等だけです。
古代インドでのヒンズー教の派生から仏教が生まれ、合一していく過程を思います。
日本でも神仏一体となっていった歴史と共感します。