「屈辱が生んだ中華思想」
「中国文明の歴史」という本の中に、興味深い記述があります。
北宋の時代、古くから北方から遊牧民として入植した人たちが、更に遊牧民たちが入ってきて横取りされることへ不安を持ち
自分達こそ正当の「中華」だ「漢人」だと言い出したのが始まりで、傷ついた自尊心を慰め、新しく北方におきた遊牧帝国を成り上がりの「夷狄」と蔑んで、せめてもの腹いせにしたのが中華思想の起源になった。
そしてどんなに軍事力が強くても、どんなに広大な地域を支配しても 「夷狄」は文化をもたない人間以下の存在で「中華」だけが本当の人間だという、負け惜しみの「中華思想」が出てきた。
これは現在の中国に存在して、中国が世界の現状を直視する妨げになっている。
いろいろと考えさせられる一文でした。
現在でも「夷狄」と蔑まれた北方部族を「日本」「チベット」「ウィグル」「台湾」「アメリカ」
あるいは「特定個人」に変えられていることが問題になっていることがよく解ります。
自分が思うに、
日本人でも 無意識にも、この影響を受けて 中華思想を受け入れてしまっている方々も多いようです。
しかし私には この考え方はない、というのが改めて判ります。
思うと 今の自分は日本思想、サムライ文化 禅の精神に「中国武術」の技能と理論、養生法の融合であり、
古くとも新しい、世界に住んでいます。