誰もが小さな頃から聞かされている「強きをくじき、弱きを助ける」ですが、
現代では解釈をつけなければならなくなったようです。
言葉通りなら、
力のある者は強大な権力を持つ、悪(誤ちを多く正当化し、人々を困らせて 迷惑になる存在)をくじき、
その困惑を受けてしまった善良で正直であり、権力の弱い存在や
不可抗力により「力」が持てなくて救助の必要な人々を救済する考え方です。
これが成り立つ社会では素晴らしい人間社会になっているはずです。
現実を見て感じるのは、強くも弱くもない人がとても多く暗躍しているように思うこともあります。
それは常に疑心暗鬼による「虎の威を借る狐たち」がそうだと思います。
これはとても狡猾で「弱い姿」を演じながら利権を持つ人々に接近し、
いつの間にか「利権の強い力」を持つ一部になりすまします。
そこからは更に暗躍し、
そこからは更に暗躍し、
自らの地位を高めることや、報酬の面で自分だけに よく取り計らってもらえるような行動をする傾向があるようです。
そして狡猾な自分の出世を知っているために
そして狡猾な自分の出世を知っているために
後から続く人を出世させないように「陰」から蹴落とす工作行動に出るようです。
結果的に、これらは皆「弱きをくじき、強きを助ける」一員と化します。
そうして力を蓄えてはいきますが、所詮は「虎の威を借る狐」
時機を計らい 一匹で丸裸にしてしまえば その正体は白日の元に照らされます。
本当の「強さ」は自分の弱さを日々反省しながら努力し、気付いた時に丈夫になっているものです。
「強」は左の「弓」に右の「虫」の上に「ム」を載せた字を書きますが、これは「カブトムシ」のことだそうです。
素朴な少年がカブトムシを好きなのはその本質を見抜いているのでしょう。
幼虫の時は柔らかく繊細であって、
大きくなるのにしたがってその身を固め、闘える「角」をたくましく育て、地上から世界へ堂々と出ていくのです。
虫だって人だって、誰もが「孤独」なのですが、
その「孤独」を自分自身の中で極めると「他人への優しさ」や「情愛」が豊かになるものです。
人間の強弱は、力でなく 利権でもなく 名声でもない。
これらは「真の姿」が現れ、知らされた時に、偽装された姿は一気に崩落するものです。
人間の強さは「心の強さ」です。
「あきらめないこと」や「辛くとも悔しくとも頑張ること」にその根源があります。
その、時折起こる 寂しさや悲しみは、己の心をきれいに洗い流します。
「強きをくじき、弱きを助ける」
人の弱さを知っているから励ますことが出来、
傲慢で成り上がっただけの「強引な力」には対抗し 必ず打ち克つことができるものです。
何故ならば、どんな時だって いつも身近に「心」の通う人が必ずいてくれるからです。