中国は好きだが、中国政府は嫌い

以前より、よく私はあちらこちらで明言をしています。

日本とは深くつながりがあり、偉大なる漢字文化を生み出した中華、中国大陸の歴史的な文化、は尊敬しています そういうことで台湾も華僑やどこのチャイナタウンも大好きです。

大らかな中国人民の皆さんにもとても今までにお世話になり感謝もしています。


武術の偉大な師の皆様にも敬意を持っています。



しかしながら日本国民としての立場で見れば、一党独裁主義の共産党政権(中国政府)のやり方と考え方は大嫌いで、認めたくありません。

先ず自己中心的、排他主義、価値観を合わせる人間たちだけを評価する姿勢が際立っています。


(とにかく手柄は自分、嫌な問題は他人へ責任転嫁・・厄介なのは本人たちはまったく気付いていない場合がほとんど、究極のKY)


「みんなで皆を幸福にしよう」という言葉が実際に実現できないことを自分達で知り、本当は「これでは、みんなが幸福になれないだろうから、自分だけは幸福になりたい」ということを平気で実行しているように見えることがあります

そしてどんな手を使ってでも様々な分野で権力を握ろうと画策しています。

それに従う者も次第に同じ考え方に染まり、融通のきかない頭の固い連中を増産することになりました。



自分もそうですが日本人で中国政府を嫌うのは「こういった感覚」を広めまわって欲しくないことへの意思の表れだと自分は思っています。

しかしよく見ると日本の政府要人でも中国政府は好きだが、中国は嫌い、という人もいるように思うのです。



日本の国民の多くは先代が勝ち得た民主主義と自由を愛し、


たくさんの価値観から良いものを学ぼう、とする感覚を持ち更に発展へと目指しています。

中国政府は資本主義導入による経済発展を高め、


それに群がるべく恩恵に授かろうとして集まってくる人間たちを都合よくコントロールしてやろう、というのがみえみえです。

それでも勝てば官軍、寄らば大樹の影。長いものには巻かれろ主義でいる中国政府に擦り寄る日本政府の政治家たちを、日本人の世論では多くが批判的にみています。

それでも一向にそういう人間たちは言うことは聞かないでしょう。それはそれで考え方の自由がありますから本人たちの勝手なのは判ります。

しかし、常に責任を取らず回避すること、いつも人のせいにする考え方 衆人監視管理をして気にいらないことばかりをあげつらう方法。

学校教師や教育者たちの腐敗、社会主義のまねをした全体主義思想の考え方の反動から、今の日本国内のまとまりのなさ 人間不信を招いたように感じました。



1985年から中国とは行ったり来たりを繰り返してきましたが、最近感じたのは今までで一番問題を大きくしてしまっているように感じます。

オリンピックを招致した時の、約束では重要だった人権問題改善もしないほど 身勝手な中国政府要人たちの開き直りによる誤ったメッセージを今でも懲りずに発信しています。



オリンピック開催まで2ヶ月を切りました。

確かに北京オリンピックを行う意味はあります。


しかしそれは選手達が主役で平和の祭典だった00年シドニーや04年アテネとは違い、

開催国の政府や政治家たちが利用するオリンピックはダメだという、


原始的な問題を掘り出して解決する機会のための世界が注目したオリンピックとなっています。



それに世界の経済を見れば今はインド、ロシア、ブラジルとの連携もいい関係になっています。

何か世界経済を利用した中国が実は利用されていて 気付けば孤立していて、


それに関連する人々も孤立しているのが解ります。


人口が多いから 国の面積が広いから・・確かにそれは長所でもあるでしょう。



大きければいいものでもないのも、世にはたくさんあります。

柔よく剛を制す。

それが日本であり、大和文化だと思います。