今の時期は、日本では4月から新年度が始まり、
落ち着いた時候なのでスポーツクラブのレッスンでも武術院にも多くの初めての方々が訪れてくれます。
毎年3月ぐらいから 新年度の準備をしながらも 長く頑張っている皆さんとの合流を想定しながら考えてすすめて来ています。
今年も様々なところで新しいチャレンジャーがやってきて、
毎年3月ぐらいから 新年度の準備をしながらも 長く頑張っている皆さんとの合流を想定しながら考えてすすめて来ています。
今年も様々なところで新しいチャレンジャーがやってきて、
先ず思うことは「武術や導引などの、健身気功や太極拳を選んで頂き ありがとうございます!」
と感じています。
世にはたくさんの運動があって、選んでもらえた、ということは
かつての自分がこの道に進んで来て良かった、と思うことを 更に伝えたい、というきっかけになるからです。
私が思うには「初心者は、自分達の未来の担い手」です。
指導者・アドバイザーといわれる人の中には、初心者に対してぞんざいに扱う人もよく見かけました。
それに今までに感じてきたことですが、
ある人物の態度の中には、先輩にはやたら低姿勢で後輩には非常に冷酷で横柄な行動をとる
「年功序列あるいは年齢序列!?」の言わば「上尊下卑」を見て
多めに見たところでも 彼の後輩ではなくて良かった、と思うことがありました。
アドバイスをする中で、ベテランになれば なるほどやってはいけないことがあると思います。
それは、手本なのに「手を抜くこと」と、伝える相手が「うまくできない」ことに、猛烈な不快感をあらわす事です。
これは中国の国内のように全体主義思想でまとめ、
非常にたくさんの人間を扱う中で、選択:チョイスしたい、という中では自然に起き得ることだと感じました(反対に、自分をアピールするチャンスが生まれるため)
あるいはプロスポーツと呼ばれる 職業の世界では、それは有効なことはありますが、多くは日常生活の中で楽しくやりたいと考える中では良い方法とはいえない気がします。
確かにかつての自分も、何故うまく伝わらないのか、とやきもきした事はたくさんあります。
しかし、それはまだ洞察力が育っていなかったことに気付きました。
中でも太極拳の指導には、たくさん知恵をしぼり、
多くの工夫をしました(同じ外国のアメリカン taiji・taichi スタイルを現地に行って学んで取り入れたりしました)
日本人は元々自己表現力の訓練をしたことが少なく、それに視力の弱い方も多く
不慣れな運動に身体が反応するのが苦手なことがあると思います。
それを強い姿勢で臨めば「自己責任」の強い日本人は
うまくいかない自分を厳しく責める情感が生まれやすいのだと感じました(これは私の経験です)
そして、自分が代表となって武術院を立ち上げて
指導方針などを考案し、常に大事にしている事は 「初心者」こそ大切にすることです。
それを自分は常に全員に指し示しながら姿勢を見せるようにしています。
しかしこの道は身体能力と精神を磨き、攻防技術を身につけ 規則正しいライフワークを
長く続けられる人は実際には多くありません、それが「武術」たる所以でもあると思います。
そして長く続けられるようになった方々にも配慮を忘れません、
更に水準を上げられるように知恵と工夫をこらして練功にも的確なアドバイスを送れるように考えています。
両方を同時進行で行うのが とても難しいですが、
そこは思案のしどころだと思い、自分の適応力の発揮場所だと思っています。
感じるのは 初めだけ優しく接していて 慣れてきたら だんだん行動が失礼になるような人もよく見かけました。
これは 単に「見せかけ」を演じているだけを自分で証明しています。
人は、よく見ていない人も今や多くいますが、実際に「心ある人」は、よく見ているものです。
一貫した姿、というのはことば通り「一つ」で貫かれていることです。
世間には言葉の独り歩きが目立ち、「言っていること」と「行っていること」がデタラメな方も多くいます。
だからこそ自分は、一貫した姿勢を大事にしたいと思っています。
「信じる」の「信」とは「亻:にんべん」に「言う」という言葉でできています。
人の行う事と言っている事が一致するから「信じられる」ので、
一致していないのを「信じられない」と古えから伝わってきていて、
それは子供でも知っていることを、大人が平気で破っている現実が多くあると思います。
「世の中が悪くなっている」ということをよく聞きますが、自分は対象の分別を忘れずにしています。
「悪くしたのは、どういう人間達」か。
「良くなっているところは、もっと良くしよう」
これを常に意識しています。
自分の生きる時代を、
できるところからコツコツと良くなるように努力していきたいと思い、これからも頑張ります!