今朝は、早起きをして また山登りをしたくなった為に 6時半に家を出て丹沢に向かいました。

先週は天気が午後から下り坂になるので鎌倉へ行きましたが、

今日はバッチリ晴れるのが分かったので丹沢にある大山に登ることにしました。

ここは自分が一番好きな山です。

筋トレも兼ねられるので、とても良いです。



山1


9時前に山に着き、登り始めました。入り口を過ぎてから向かうのは「男坂」やっぱり男を上げるなら男坂。


山2


急勾配の階段から一気に上り始めました。

しかし、さすがきつい。

久しぶりに息が上がりますが、これもなかなかいい感じです。


山4



そして阿夫利神社に到着。

頂上目指して一気に登り続けます。


山3


山道を歩きながら、いろいろと考えます。

そして眼に映る景色に意識を向けます。

自分が思うに、山は永遠の生命を持っている、登る度ごとにその永遠の望みを与えてくださる。そう思います。

山登りは自分の足で上を目指して歩けば歩くほど、上に行くことができる。

しっかりと己の足で大地を踏みしめているうちに、だんだんと何故自分が山に登るのか理由が見えてくる。

それは、天に近づきたいからだ。

途中につまづき、手をつき転びかけることは一度や二度ではない。

人生もそんなものだと思えると、楽になってくる。


だんだんと頂上が近づいてきた。

一気に登りきって 下界を見ると清清しい気分になる。


山7


頂上で一休みを兼ねて瞑想を行い、導引と呼吸法を行う。

とても幸せな時間だ。

山6

山8


山の頂上(標高1247m)にいると、いろいろと感じることがあります。

日本人は無宗教だという人があったが、自分はそれは違うと思うのです。

自分は出会う 神社、仏閣、お寺には全て心からの祈りを捧げます。

八百万の神々への敬虔な想いがあるから、どれかひとつにしろという、他の国々のようにはいかない、と思うのです。

五行の神々(木火土金水)が山には宿っている、思えば「火」は自分の中にいるのだろうと感じます。


そして水分補給をして、下山に入ります、下りでもまた様々な景色を見ながら進みます。



山9


山10



途中、崖になっているところを歩きました。

ある大きな樹が、崖っぷちに立っていました。



山11


それはとても見事な樹でした。根を見れば、力強くしっかりと立っている。

通り過ぎる時に、その樹が「頑張れよ」なんて、エールを送ってくれる気がしました。

ふと思えば、よく世間の新聞の見出しなんかに「○○崖っぷち!」なんて貶めようとして書いてあるのを見ますが、実際に崖っぷちを歩いてみれば、よくわかるものです。

足元をしっかりしながら一歩一歩踏みしめれば大丈夫。何にも怖くないのです。

だんだんと降りて行くうちに川が見えてきました。



山12


そういえば歩いている途中にもたくさんの折れている木を見ました。

おそらく先週の風雨で折れて倒れたのだろう。

その折れている木を見ながら考えました。



山16


何故、この木は倒れたか。

倒れた理由が あるはずです。

生えた土が、合わなかったのか、根を生やすのに弱さがあったのか。

幹や枝が硬過ぎて、しなやかさがなかったせいだったのか。


しかし、折れない見事な樹も周りにたくさんあります。どんなに強い風雨にも倒れずに折れない理由があるのです。

その樹を見つめて感じながら、後にしました。


降りて行くうちに川の流れる音がしてきて、滝が出てきました。


山13

山14


その滝のすぐ近くに下りてみて ここでもまた、自分の時間に入ってみました。

見上げれば、

太古の昔から流れ続けているであろう。ほとばしる湧き水の力が見られます。

老子の言葉の、「谷神は死せず」を思い出しました。

そう、その通り。

気付けば 世間で下界の多くの人々は想像上に作り出すイメージの中で苦しんでいるに過ぎないのです。

偉大なる自然の大きな力を忘れ、身勝手な自分たちの小さな世界の中で優劣をつけ、比べ合いながら もがき続け望まぬ世界へ人を巻き込むのかも知れません。



山15


やはり、天に近づくことは素晴らしいことだと気付きます。

そうするうちに、下社に着きました。名残り惜しい時間の中で もう一度瞑想をしながら小休止をしました。


山17


山18


そして今度は「女坂」を降りてゆくうちに、せせらぎが聞こえてきました。大山寺を過ぎ、茶店がたくさん出てきました。



山19

山20



今日もまた、素晴らしい経験になりました。

大きな力を頂けました。ありがとう、山の神々と水神よ。