途中、どこへ行くかを移動中に考え、いつもはこの時期は丹沢のコースを取るのですが、今回は鎌倉にしました。
とりあえずは山歩きです。
はじめに鎌倉宮・瑞泉寺まで行き、そこからスタートです。
コースはそこから建長寺の裏を通り、
http://
山から海を見たくなったので、このコースにしました。
山に入ればすぐに、静かな中にウグイスの鳴き声が遠くまで響き渡ります。
若葉が映えて、時折どこからか桜の花びらがはらりと流れ落ちてきます。
山道を歩くと、脳裏に様々なことが浮かび上がり 感じることがより一層鋭敏になります。
歩きながら思うことは、急な登りがあったり、下ったリしながら自らの体の重みを感じながら道を行きます。
途中に、ぬかるみを乗り越えたり、分かれ道が出てきた時に、
自分の意思でそれを選び進まなければならない。
人生でも、様々な選択をしながらも その道を歩き続けることが大切なのだと実感します。
大都会に住むと、人はとかく利己的になりやすく、
何かことあるごとに ここは自分だけの道だと言わんばかりの心になるようです。
山道では、互いに道を譲り合い 健脚なものは健脚の道を、
足元に自信のない人は安全な道を、自然に歩きます。
そして都会では、通りすがりに突然見知らぬ人に声をかけられると心配になるものでも、
山道では、誰もが 穏やかにやさしい気持ちでお互いに励ましあえる人になれます。
いつも、こんな心持ちを大事にしたいとも思うのです。
価値あるものといえば多くの人々はお金で買える高価なものに目が魅かれます。
その中には確かに洗練されたセンスの良さもあり、見た目を楽しくさせてくれたり 便利なものも多くあります。
しかし、道の途中にある大木や長い間に雨水が削った岩などの
大自然が何千年もかけて作った芸術には及ばない。
これらは全て、自然に創られてきたものですが、
人は作り方も知らないものばかりで、作ることもできないものばかりなのだと自然が教えてくれます。
実は、人は知らないものの方が多いのにも気付きます。
それから、建長寺と明月院を過ぎ、浄智寺を抜け 銭洗い弁天に行きました。
思い出せば この場所は東京に住んでいた中学1年生の時に校外学習で来たところです。
道を歩きながらいると、あの頃の自分が見えてきたりしてきます。
そして今の自分と向かい合い、変わらぬ信念を抱く 自分がまだいると 感じることができました。
平和を願う為に建立されたその姿を思い、アジアの平和を祈りました。
そして、由比ガ浜に辿り着き、海を見ながら 寄せてくる波にいろいろと想いました。
今日通った道は、鎌倉時代には武士や僧侶の為の抜け道だったのかな、とか
かつてはこういった山頂から海上の安定を確かめたりしたのだろう と思い、
あるいは、
1192年に、源頼朝がここに幕府を置いて日本の武家社会を築いたことで、
そこから関東人気質には「禅」と「武」の精神が遺伝子に根付いているのだな、と感じました。
慌しい現代社会に生きていると多く忘れがちな、大事なことを思い出させてくれる一日になりました。
何故か、本当に自然や先代の皆様に「感謝」の念が浮かびます。
その「感謝」なしに、今の自分がいるとは思えません。
「今」を大事にする、ということは
歴史から受け継いでいるものを大事にしている、ということにも気付かなければならない、とも思うのです。