地上万物 ありとあらゆる、大自然の「精:エッセンス」を体内に取り入れ、
「頭頂:大脳」に引き上げて 「神」と為し、
それを純粋なる大いなる力として それを、
「一」にする。
それを 「精神統一」にする、
と日本語で云う。
古くからある「日本語」には、道教的概念などが既に、織り込まれてるものが実は多く、異なる解釈(知らない為に)が一般的になっている言葉も多いですね。
精神集中と精神統一、似た言葉でもその意味は異なるものです。
老子道徳経 第十章
載営魄抱一、能無離乎。専気致柔、能嬰児乎。滌除玄覧、能無疵乎。愛民治国、能無以知乎。天門開闔、能為雌乎。明白四達、能無以為乎。生之畜之、生而不有、為而不恃、長而不宰。是謂玄徳。
「道」を守り、精神と体を一つにし離れないでいることが出来るだろうか?精神を集中し心身を柔軟にして嬰児のようになれるか?
上記の中でも
「載営魄抱一」「天門開闔、能為雌乎」 のところが大切で、
それを「是謂玄徳」としています。
言葉遊びや、無意味な行動が多い中で、
真意の表れは、ここに尽きるのだと思うのです。