百花斉放 百家争鳴(ひゃっかせいほう ひゃっかそうめい)は
1956年から1957年に中華人民共和国で行われた政治運動。中国語では百花運動(百花运动)とも呼ばれる。
「中国共産党に対する批判を歓迎する」という主旨の内容であり、これを受けて中国国民はさまざまな意見を発表したが、
百花運動の方針は間もなく撤回され、共産党を批判した者はその後の反右派闘争で激しく弾圧された。
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
百花斉放 百家(鳥)争鳴と
本来の言葉通りなら
百の花が咲き誇り合い 百の鳥達が共に 心地良い鳴き声を競い合う、という意味で、
自由を謳歌する とてもいい例えの言葉です。
以前、その言葉の響きゆえに引用してみたところ、反応が微妙でした・・
後で調べてみれば、その言葉は上記のことを連想する「意味」だと 気付いた時に解りました。
思えば これが中共:中華人民共和国を動かす人の中に根付いている感覚だったのでした。
これは実際の経験談です。
かつて ある武術チームのコミュニティの会議の時に「反省会」をしましょう、となり
「お互いに腹の中をスッキリしましょう」と言い出してきたので それを始めたのでした。
結果として、その反省会では上層部が行った行動の、多くの誤ちに対しての「不満」や「批判」が続出しました。
これらの人物はその「不満」や「批判」を受けて
その後に 意見をした人に対して処罰という「報復」を開始したのをみました。
これが行われた時期に、おそらくその当時(1957年後)日本でも流行したのではないかと思います。
(ですから、1957年に0~20歳の人たち 今、51~71歳前後の人は 必ずその影響を受けている)
それゆえに、それを知る人は「意見」を言わなくなり、周りを恐れ 自己弁護手段を常に考えるようになったのだと思います。
(請われたままに 良かれと思っていて、やったことが後でひどい目に合うというのはどういうこっちゃ!)
よく意見を出せ、と言われ 意見を出せば その意見の揚げ足をとり逆襲する人間達が多くいました。
彼らは自分の「意見」を言うことはなく、自己都合における「気に食わない」人を排除するだけだったのです。
こういう輩が「世間」の言論に悪影響を与え 意見交換のしにくい土壌を作った連中です。
今の世になって、こういった卑劣な人間達は「浮き」続けています。
己の無能さを露呈し 人への批判のみに長けた人間は「進歩」や「進化」はできません。
現在の中国政府を見ると、とても残念です。
日本でも彼らに媚びる人達にも残念な思いがあります。
「友好」という言葉はまやかしだといわれても仕方のないことでしょう。
真の「友」ならば、相手の間違いを指摘し、矯正してあげるものです。
共に利用し合うだけの行動に「友」や「好」という言葉はふさわしくないように思います。
来週は オリンピックの聖火は欧州とアメリカを通ります。
平和の祭典、友好という世界の友情の火が世界を通るのに、人々は何を感じるのでしょうか。