如来


「体悟」という言葉があります。


「体」で「悟り」を開き それを「感じる」ということです。


根本的に見れば、人は誰もが「わがまま」です。


時に「ワガママ」は「身勝手」であり、


また ある時に「我が儘」は「体悟」であります。


「我」を一人称で強引に正当化するか、


「我」を「万人」の「心地」を察して、「万人」が良い方向へ向け尽力するか、


この違いになります。



大山2


時に「時代」というものは「理不尽」でもあります。


それをも受け止めて、負けずに どれぐらい自分の器を大きくできるか、


あるいは「理不尽なもの」に同化して品格を下げるかで、


ここに「人間力」の違いが生まれます。



鳥


大自然は、全てに公平で公正であり、


そして 公開の中で感じるものです。



雲


「極める」というのは「従う」ことであり、


大自然の働きに忠実であれば「安泰」であり、何も不安はないものです。



大山


自然体と人間力の安定 それに幸福感と実行力が現れること、


それを「厚徳載福」といい、


「厚い心持ち」が「徳」を育み、幸福を、その上に載せられる、というのです。



与えられるものを感じることは、全て「体悟」であり、


永遠に変わらない法則でもあるのです。




月