「体悟」という言葉があります。
「体」で「悟り」を開き それを「感じる」ということです。
根本的に見れば、人は誰もが「わがまま」です。
時に「ワガママ」は「身勝手」であり、
また ある時に「我が儘」は「体悟」であります。
「我」を一人称で強引に正当化するか、
「我」を「万人」の「心地」を察して、「万人」が良い方向へ向け尽力するか、
この違いになります。
時に「時代」というものは「理不尽」でもあります。
それをも受け止めて、負けずに どれぐらい自分の器を大きくできるか、
あるいは「理不尽なもの」に同化して品格を下げるかで、
ここに「人間力」の違いが生まれます。
大自然は、全てに公平で公正であり、
そして 公開の中で感じるものです。
「極める」というのは「従う」ことであり、
大自然の働きに忠実であれば「安泰」であり、何も不安はないものです。
自然体と人間力の安定 それに幸福感と実行力が現れること、
それを「厚徳載福」といい、
「厚い心持ち」が「徳」を育み、幸福を、その上に載せられる、というのです。
与えられるものを感じることは、全て「体悟」であり、
永遠に変わらない法則でもあるのです。