日本でも精神世界などで語られ続けた「気」についてです。
「気」とは何か。
「天気」「空気」「元気」「勇気」様々な言葉で表されています。
”気”「Ki」「Qi」を英語では「Vital enagy」と訳します。
古くサンスクリット語では「プラーナ」とヨガなどでは呼びますが、
両方とも生体エネルギーのことです。
自分という人間の内面のエネルギーを「内気」と呼び、
空気や自分の外側の「エネルギー:気」を「外気」と呼んでいるのです。
自分の気持ちの”気”「生体エネルギーを」向上させる為の
「はたらき・わざ」をするのが「導引:導気令和 引体令柔」
最近の言葉では「気功」といいます。
武術でも「気」は重要な要素の内のひとつです。
様々な武術の拳種・太極拳・気功があるのは時代とともに
その「はたらき」は移り変わり、
そして編み出されていく行程があるからなのです。
正しく行われる武術の拳種・太極拳・気功は身体と気持ちを
「必ず良い方向」へ向かわせる事ができるのです。
感じる中で、いつも「気配」や「雰囲気」という言葉通り、
人はそれぞれ その「人」の持つ「気」があります。
しかしながら、この世界の中で
「不明瞭」「不気味」「不本意」を感じるものが多々存在します。
人に接し、行いながら、
これらで「気分が悪く」感じたら、その「気」は「邪気」といえます。
これは「やましさ」から来る「気」のばら蒔きと言ってもいいでしょう。
人は毎日生き続けている中で、
日々どのように成長するかが大事です。
「気」は「その人」の全てを自ら証明しています。
「気力」は純粋なエネルギーとパワーの成果が、
その人に宿っているものです。
「気」は理屈で考えたり、議論するものではありません。
「直感」で気付き「五感」で感じられるものです。