子供の頃に東京の「狛江」という町に住んでいました。
成城学園前が山の手で、下に降りてくると狛江。
多摩川を渡れば登戸です。
よかったのは小田急線と京王線が使えて京王線を使うと
「国領」でした、その頃は行動範囲が広く「深大寺」や「つつじが丘」「仙川」までよく行きました。
そのつつじヶ丘にある「実篤公園」は子供の頃はよく知りませんでしたが、
そのつつじヶ丘にある「実篤公園」は子供の頃はよく知りませんでしたが、
大学生の時、近代日本文学に没頭し「武者小路実篤」さんに感銘を受けました。
http://www.mushakoji.org/
「画讃一束」
「仲良き事は美しき哉」
「見るもよし、見ざるもよし、されど我はさくなり」
http://
「画讃一束」
「仲良き事は美しき哉」
「見るもよし、見ざるもよし、されど我はさくなり」
「君は君 我は我也 されど仲良き」
「天に星 地に花 人に愛」
「勉強勉強 勉強のみ よく奇蹟を生む」
「我この道を行く この道の他に我を生かす道無し」
「この道より、われを生かす道なし。この道を歩く」
「自分にとって人生が無意味に思えるのは,
自分が人生にとって無意味であるときである」
「人生論」より
自分達に力がないと言うことを恥じよう。
「人生論」より
自分達に力がないと言うことを恥じよう。
そんな言いわけをすることを恥じよう。
そんな言いわけをするのは臆病者だ。
自分達には力はあるのだ。
ただ出さないのだ。出すのが怖いのだ。
出してまだみないのだ。
もし自分達の力が弱かったにしろ、真心の力は弱くないはずだ。
弱いと言うのは精神が足りないからだ。
力はあるのだ。ただ出さないのだ。臆病で出さないのだ。
本当に出せば力があるのだ。
ありながら出さないでいて、力がないと言うのは恥じようじゃないか。
自分はもっと、もっと力があるのだ。
ただ出さないのだ。十分には出してみないのだ。
死ぬ覚悟ができていないのだ。生きる覚悟もできていないのだ。
まだ本当に目が覚めてはいないのだ。
力はあるのだが、まだ出し切らないのだ。
臆病から、そしてつまらぬ遠慮から、
そして何より怠惰で、事なかれ主義がいけないのだ。
本気になれば力は出るのだ。恐ろしい力も出るのだ。
世界も動くのだ。
皆が一致するのだ。そして力が燃え上がるのだ。