ここ数年間、日本国内での教科書問題などが


取り上げられていたことなどを踏まえて、

今から振り返ると、

小中学校の義務教育では、その時代の文部省(現文部科学省)が


教育に非常に大きな圧力をかけていたことが判ります。

自分は70年代後半から80年代にかけて小中学生でした。


その頃の学校教育では、

小学校では素養、中学校からは、

国語では万葉から平安文学、近代文学、そして漢詩が教えられ、

社会科では日本地理では農作物の取れる地域を覚え、


日本史では、漢倭奴国王の言い伝えから遣隋使・遣唐使。

聖徳太子の十七条憲法の制定、鎌倉時代・元寇。


戦国時代から江戸時代までの政。

世界史では中国への侵略、


そして敗戦、占領された日本で一度終わり、


その後は経済成長を遂げた日本のことが教えられました。




理科・科学は実験と解剖。



数学では、図形に方程式に関数。


体育ではオリンピック項目になっている種目を「できない先生」に教えられ、


そして運動行進にマスゲーム。




そして、思い返せばこの頃、

ここ「試験に出るよ!」と言われたところを丸暗記してテストに望む。

それを高校・大学と行ってきたのでした。



自分は高校から先は今から思えば幸い!?進学校ではなかったので、


進学や就職先に重点を置いた勉強をしなくて済みました(当時は少し投げやりな雰囲気)



それから90年代。

自分はバブル時代には武術ばかり行っていて、


大学では真面目にやったり、やれなかったり(できなかったり)しました。


そんなことで今では「悪習慣」になっている、

「寄らば大樹の影」や「長いものには巻かれろ」


というのには従いませんでした。

しかし当時は浮きまくっていたのは事実でした。




それが2001年。

小泉政権が誕生し行ったことは、


旧日本社会構造の馴れ合い関係システムの破壊。

そして今に続く教育改革と公務員改革のスタートをきることでした。

この時に気付きましたが、「僕らの年代」は文部省を通じて、


試験を通じて一部では「洗脳教育」に近い勉強をさせられていた、という真実。




「テストに出る」と言えば疑うことなく正確に「その事柄を覚え」出世を望んだならば、


その最先端を行かねばならないのです。

「正しい」のではなく


当時の日本政府の「都合の良い」理論の自己洗脳をしてしまったのでした。



国家公務員を目指し外交官を目指すなら、


中国にぺこぺこ頭を下げる、


アメリカ占領のことは良くも悪くも評価できずに常に曖昧な姿勢でいる始末。

当時の一流企業は銀行、証券、不動産、商社、建設会社。

関数で為替を判るようにし、図形で土地の広さを測り、方程式


で売り上げ予測を考える。


地理で覚えた農作物を地方から買い付けてそれを売る。

また国内の土・砂・金銀銅の産地を探し掘り出す、

そしてダム建設。


そんなこんなで、今から気付けば出世街道を行く「時代の寵児」は、

いつもその時の政治経済のトップを走る輩にとっての


忠実な下僕になったのでした。




「下僕」に本人の意志は要らなかったのです・・・

我々の世代で「自分の意志」が少ない人が多いのは単にこれだけの事だったのです。




「させられただけの勉強」や「テストのために行った勉強」は


今や反古になろうとしています。

かつてエリートなどともてはやされたことは今は昔。

彼らは今、その安全地帯は無くなり、


能力主義とか格差社会とかを嘆いて世を憂えています。


時は移り、21世紀。

全てが今、「過去」になろうとしています。


これからは誰でも同じ階段を、自力で昇らなければなりません。

今までに体力を付けてきて、知恵と工夫を凝らした人間が先を行きます


新しい日本社会・世界経済、イデオロギーを失くしての、

新しい世界構築へ向けて大きな一歩が毎日踏み出されています。


生まれた時代は、自分で選ぶことはできませんが、

「自分の生き方」は自分で選ぶことができるのです。



自分の足で歩いて、自分の頭で考えて、行動力を活かしましょう。

それが誰にとっても歩いてゆく道です。