今日は金曜日、1週間の中で一番バラエティーに富んだ日です。

朝はスポーツクラブでの太極拳のレッスン、午後は学校での部活の指導。

夜は武術院の活動。

たくさんの皆さんと武術三昧の1日はとても充実します。


動き続けて、考え続けながら、語り続けて、

共に希望ある未来を創造する為に実践する、

そんな1日。


確かにハードではありますが、有意義な時間です。

「今」を実感し、進歩し続ける。


これがあれば、

「年をとる」ということに、充実と喜びを感じます。


これは、やっぱり「武術」の素晴らしさだといえます。



多くの方は「年はとりたくない」とよくいいますが、

私は「武術」をしているおかげで「年はとりたい」と思います。

年が経つうちに、様々な経験や能力が増えていきます。

無駄な労力も使わなくなります。

ゆとりの時間も増えました。

やっぱり正しく「武術」をやれば「功夫」が高まり肉体的にも精神的に強くなっていきます。


統計的に見ると、

今の日本人の肥満だと感じる人のパーセンテージでは40代が78%、30代は80%超だといいます。

今後20代は更に上がることが予想されているそうです。


時々感じるには、

この国の一部の人々は不本意な思いを積み重ねて、


生きていることが普通なんだと、いう前提の中で

人生を決め込んでいる人をよく見かけます。


それでいてストレスのはけ口からか、

不健康で不健全な生活をして、肉体的な弱みを多く「自ら」抱え、

更に身体に悪い習慣を続けることを「逆ギレ」のごとく正当化し、

結果として精神的には「自虐的な被害者意識」と、

あきらめからくる「なげやりな依存心」が高まってしまっています。


大切なのは「対象の分別」


以前、これを指摘し とばっちりを受けた時に考えました。


「病んでいる」のは「何か」あるいは「誰か」

「何故」そうなってしまうのか・・


健全な精神は健全な肉体に宿る。


あるいは健全な肉体を築けば健全な精神が宿る、ともいえるでしょう。



理屈や理論より先に、

日々の精神力、身体能力の向上を実践すること、


このこと無しで「発展」は「進歩」はおそらく難しいでしょう。


物事の「本質」を考えることは「老若男女」誰でも大事なことです。

しかし、そんな中でも、

このままで「日本」はいいのか、

なんて事を、自分は嘆くことはしません。



今まで通り、そのままで「日本人・文化の誇り」を大事に高め「中国」との文化交流を尊び、武術を通じ拳を打ちます、

こうして本当の日中間における相互理解と友好をするべく努力している人が、

自分の周りにはたくさんあるのを「武術」を通じ、とても嬉しく実感しています。



やはり人間は日頃の「生き方」と「習慣」で全てが決まります。



気の強い人は、強引にでも自らを演じたりできますが、

所詮こういった「気力」は限界があるものです。

「実感」と「効果」

1日積めば、1日の「功夫」

1年経てば、1年の「功夫」

更に高めれば更なる「功夫」



ここには「そうなりたい」とか「こうだろう」とか

「知っているよ」なんていう「願望」や「空想」だけでは物事は実現しないものです。

ただひたすらに「過ごした時間」と「努力」の積み重ね、

それが「功夫」