武術の秘伝や奥義を伝えるものに「口伝」と「書物」がありますが、


意味の「曖昧さ」のあるものが、実はたくさんあるものです。



中国語や日本語だけでなく、「曖昧さ」というのは存在します。


「本質」をいろいろと解釈させて、最終結果を見る、という古くから行われてきた風習でもあります。



そもそも「曖昧さ」の役割は「断定しない」ことで含みをもたせるためにあります。


結果を慌てさせて、決めずにおくことで、進捗状況に適応や応用できるようにするために、


使う方法はリーダーシップをとる時の「よい方便」として活かせることがあります。



しかし、時と場合を間違えて、具体的さや正確さを欠くと「大体こんなもんでいいだろう」


というような状況が日常化にされた時に、仕事や大事な作業での


様々な大きな問題の原因の発生につながっているようにさえ思えます。



つまり「いいかげん」という言葉です。


本来は「良い加減」


つまり、いい塩梅というように調理の「塩」の加減を(加える、減らす)みるはずでしたが、


いつのまにか「いいかげん」になってしまいました。


いろいろと分析してみると、世間は「曖昧さ」が「いいかげん」な場合がかなり多く見られます。



物事の本質は、より繊細で正確で具体的にはっきりしているものであり、


それを私たちは「本物」と呼んでいます。



それは「職人芸」すべてに通じており、


そのすばらしさは「国」を超え、「時空」を超えて「人」に伝わっていくものです。


ある「極秘伝」の文章をひとつ紹介しましょう。


(公開したら極秘ではすでにありませんが・・まぁそのへんはいいかげんで)




掘らぬ井に 照らさぬ月の影さして


影も形も無き人ぞ汲む