前回の更新から滞ってしまったが、日々現地の色々な事を考えている事に変わりはない生活を送っています。
色々、考えれば考えるほど、ブログが書けないというか、書くのを躊躇う日が続いています。
明るい話題もあるのですがそういう話題を書く気に最近なれません。
南三陸町って復興状況はどうですか?と普段でも聞かれる事がある。
貴方ならどう答えますか?
どのように報道で見て感じているでしょうか?
どう?と言われても俺は答えようがないんだよね。
冷たい言い方すればそんなに興味があるなら自分で調べるなり、現地に行って肌で感じれば?
だけど、それで何が解るの?とも思ってしまう。
偉そうな言いかたなのは解ってる。
今日ね、書くのどうしようか、ずっと悩んでたんだけど、この悶々とした気持ちをどこにぶつければいいか判らず、ここに今、自分の心境を記しておきたいと思う。
今日、ある現地の人から電話がきました。
まぁ、たわいもない会話だったんだけど、話しの中から、様々な話しになっていくのはいつものパターン。
その人も地域の世話役をやってた方で、いつも地域の人の心配をされていた方。
おれもずっと信頼を置いてきたし、人柄も尊敬できる方です。
その方は何とか自力再建へと少しずつ歩み始めたんだ。
だから、その人もいつでも時間空いたら遊びにけさいと言ってくれて。
人の悪口も言わないし、すごいいい人。
少しだけ生活の目処がたったのか、相変わらず忙しそうなのは確かだけど、今まで言わなかった事などを
今日はじめて聞いた。
他の地区の人だけど、田舎だから親戚も多いし、同級生なども色々な地区に住んでいるからみんな、だいたいすぐ判るんだよね。
それで、「うちはまだいいけど、まだまだ大変な人がいっぱいいるのさ・・・」
俺もぼんやり、色々な人の顔を思い浮かべながら、確かにみんな大変だよな・・・みんな少しずつ歩み始めても、これから借金地獄の人とか、家の目処が立たない人とか、皆不安な渦中なんだよな・・・と思いながら話してた。
「おれの小学校からの同級生なんだけどさ、船を沖に出して守って、震災時、家が心配だからと沖の瓦礫に船を縛り付けて、戻ったのさ」
「で、2日後に船を見に行ったら、船も流され、探したけど見つからず、家も勿論・・・」
「守ったのに、流されて行方不明で、ホタテの養殖もそのためまだ再開もできず、ワカメに切り替えて、何とか始めたけど、ワカメを今まで全くやってなかったから激甚災害の対象にもならず、国からの保障も得られず、かといって船がなくても激甚指定が来年の3月に切れるからある程度ホタテの養殖資材も始められないのに、金だして準備せなくてはならないと」
ここまではよく聞く話しでもあるなと、「うん、うん」と頷きながら話しを聞いてたわけ。
そこの家の人が可哀想でならないと何度も言うもんだから、
「どうしたのですか?」と少し突っ込んで聞いてみたら、深刻そうに話し始めたんだ。
震災前に娘さんが心臓が悪くて、自殺されて、それを苦にしたお袋さんが、自分を責めたのか後追い自殺をされて・・・
「えっ?・・・・その後の震災ですか?」 と俺。
「そうなのさ・・・」
その後は言葉が出なかった。
「障害をもった祖父がいて、娘が二人いるんだけど、娘を育てないといけないから、何とかワカメ始めたのさ」と・・・
「まだ年金暮らしでもないし、まだまだ働かないといけないし、何とかしてやりたいのさ」と。
「保険でおりたお金が入った金庫も流され・・・」
「今度は俺達が何ができるか、なんとかしてやりたいんだと・・・・」
「まだまだこういう人、いっぺえいるのさ」
「おれなんかはまだいいほうだ。行政の支援のあり方とか、ボランティアの公平性ってなんなんだべか?」
「本当に考えちまう」
「もっとこういう人に支援がねえとおかしいべ?」
「確かにそう思います。自分に出来る事はなんなんだろうか」と1時間程話してた。
先ずはその人に会わないと判らない。
でもその人が会う事を望んでいるのかも判らない。
俺が会って安易に話しを伺うことだけはしたくない。
地域の人、親戚、身内の人が先ず支える事が大事だろう、皆、そんな余裕はないかもしれない。
だけど、そういう気持ちが大事だ。だから俺たちが何とかしなければならないとその人は力強くそう仰った。
他の地区の人だけど、その人の心が動いているのを力強く感じた。
今度、来た時にゆっくり話そう。その時、また相談に乗ってくれといい硬く約束して電話を切った。
震災当初は誰がどういう家庭状況なのか、どんな境遇なのか、地域がどのようにまとまっているのか、
そんな事は全く判らないまま当初、動いてたけど、地域限定で動いていると様々な人間関係や、地域、集落の特性、事情を何となく把握するようになってきて、解ったつもりでいた自分が物凄く嫌になった。
震災で身内の方を亡くされた方は本当に心身ともに大変だと思う・・・と理解するようにしていたつもりだけなのかもしれないと、また自分が嫌になった。
それが二人の自殺の後の震災を経験された身で今をもがいて必死に生きている。
すみません・・・俺には想像の域を超えています・・・
被災してもいない自分が言える問題じゃないけど・・・
こういう人達がまた2回目の冬を越そうとしている。
日中のこの話しがずっと頭の中をぐるぐる回っていて頭から離れない。
現実はまだまだ大変な人がたくさんいるんだと言う事をこのブログを見てくださった方だけでも
少しでもこういう人がまだまだたくさんいるんだという事を認識して頂いたら幸いです。
PS)今年も色々な方に支えられて、現地に赴く事ができました。
また現地で忙しいのにいつも受け入れてくださる人達、本当に有難う御座いました。
来年も再来年も一生、私は通わせて頂きます。
島田康介