プロレスラーという看板 | まぁ一服!Classic

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ベイスターズ、プロレス、アニメ、水曜どうでしょうが大好きな男のつつましやかなブログ(笑)

筆者はプロレス記者でもないし、プロレスの歴史にそこまで詳しいわけではない。

ごく普通のプロレスファン。今プロレスラーとファンとの距離がだいぶ近づくようになったが、それでもやはりプロレスラーには畏敬の念を抱いている。

それは、彼らが我々には真似のできないような肉体の酷使という代償でプロレスラーを演じきっている、体の隅から隅までプロレスラーという看板を背負っているからだ。

そんなプロレスラーが何でも許されるリングの上で、唯一してはいけないこと。それはプロレスをしないことだ。

飯伏とヨシヒコのようなエンターテイメント満載のものもプロレス。スーパーササダンゴマシンのパワポも立派なプロレス。とにかくプロレスの幅は広い。それでも「これだけはプロレスではない」ということが起きてしまうことがある。

詳しく覚えていないが、かつて高橋奈苗と華名のシングルマッチを甲田さんが回避した記憶がある。あれはこの二人がリングに立った時に、プロレスとして成立しないことを予測できたからだと思う。そして、その判断は正解だったはずだ。

長州vs橋本の試合を藤波が止めたという事件もあった。「我々は殺し合いをしてるんじゃないんです」。

そう、リングに殺し合いなんていらない。よくデスマッチという言葉が使われるが、あれは決して殺し合いをするという意味ではない。デスマッチファイターである葛西純の言葉がそれを一番正しく表現している。

「死ぬ気でデスマッチのリングに上がるバカがどこにいんだよ?デスマッチってのはな、生きるためにやるんだよ。生き残るために闘うんだよ。わかるか?死ぬためにあがるんじゃねぇよ!」

今回の悲しい戦い。言い換えればあれはリンチと取られても仕方ない。勿論やりたくないカードを組まれたことへの不満があって、ああいう形でしか不満への反論ができなかったのかもしれない。プロを名乗るレスラーとして未熟な部分があったことは否めないし、やってはいけないことをやってしまったのは事実。ただ、一人きりの問題ではないのもまた事実。

プロレスは決して一人ではできない。そして二人いたからといってできるものではない。そこにはプロレスラーという看板を背負う責任と、対戦相手との信頼関係がなければ成立しない。

信頼関係とは決して仲良しという意味ではない。相手の持つプロレスラーとしての精神や技術を信頼できるか、そういう意味だ。

それだけ彼らは危険なことをやっている。そして我々プロレスファンの心を動かす。

プロレスのリングは非日常空間を提供するエンターテイメントの舞台。ただどちらが勝つか負けるかが見たいのなら、プロレスよりもボクシングを見るべきだろうと思う。

起きてしまったことを今更どうこう言っても仕方ない。今回のことを反省して、次にどういう姿を見せるか。今はそれを考えてくれればいい。

ファンを喜怒哀楽させるのがプロレスラー。でも、決して不快感は与えてはいけない。それがプロレスラーの看板だと考えます。

長文・駄文失礼いたしました。