自分自身も100%正しい言葉づかいをしてるとは思いませんが、相変わらず気になる喋り言葉をよく耳にします。
ちょっと前まで気になっていたのが、「よろしかったでしょうか」に代表される「過去形言葉」と本来入るべき「ら」を省略した「ら抜き言葉」です。
「過去形言葉」は某郊外レストランの接客マニュアルに「よろしかったでしょうか」が敬語の例として載ったことが発端と言われていますが、世間で大分叩かれたため、最近ではほとんど使われなくなったようです。
一方「ら抜き言葉」は、国民の半数が当たり前のように使うので、国語学者も「言葉は移ろうもの」と半ば公認しているようです。
しかし、「食べられる」を「食べれる」、「来られる」を「来れる」ぐらいのら抜きなら何となくわかる気もするのですが、例えば「進められる」を「進めれる」や「伝えられる」を「伝えれる」などの表現にはとても違和感を覚えます。
そんな中、最近疑問に感じるのが「同級生」と言う言葉の使い方です。
私としては「同級生」はあくまで同じ学校の同じクラスだった人間、「同期生」は同じ学校や会社に同じ年に入った人間と、極めて限定的なものと思っています。
しかし、昨今では歳が同じことイコール同級生と言う考えがはびこっています。
テレビで芸能人やスポーツ選手がよく使うようになってから、一気に広がった気がします。
同は同じ、級は学級すなわちクラスですから、やはり同じクラスだった人が「同級生」なのではないんですかね。
単に歳が同じなら「同い年」とか「同学年」と言えば良いと思うのですが、これも「言葉は移ろうもの」で片付けられてしまうのでしょうか?
何とも納得がいきません。

