真昼にとあるケーキ屋に立ち寄った。

しかし結局、お目当てのものは見つからずに店をでたとき、

魚屋さんだろうか?

全身真っ白に身をつつんだおじさんがしゃがみこんで、なにやら見ている。


時間がないことに気がつき、自転車に乗ってさあ、とこぎ出しながら、

横目でおじさんがかがみこんでいたところ、

つまり、ケーキ屋さんと隣の家とのコンクリート塀の間に

ほんとうに生まれたばかりであろう小さな灰色をした子猫が横たわっていた。


よくは見えなかった。

眼はしっかり開いていただろうか。

目ヤニがついてはいなかっただろうか。

どこか弱弱しくなかったか。


昼間の暑さから逃れようと、狭い店と店との間にいた。


この子猫の姿が頭にこびりついて、離れない。


栄養失調ではないだろうか。

もしや捨てられて、母猫も知らず、帰る場所もないのではないだろうか。


近寄って見る、手を差し伸べる時間もなく、

なすすべもないまま、わたしは昼間の蒸し暑いなか、

必死に自転車をこぎながら、

そのような疑問をたくさん畳みかけていた。


小さな子猫というと、

今は亡き祖母が可愛がっていた猫たちを思い出す。

猫と祖母。


いまはもうそのどちらもいない。

一匹の小さな黒猫が栄養失調で亡くなってしまったとき、

その身体を小さなお菓子の紙箱のなかに大切に横たえたこと、

そして、一緒に土に帰したことを、いまでも思い出す。


わたしが生き物の死をはじめて目の当たりにしたときだった。

いまはそのとき一緒に涙を流した祖母ももう

この世にはいない。


今日、一匹の小さな猫をみたとき、

当時命を絶った一匹の黒猫、そしてその子に寄り添う祖母とを思い出した。