1991年パキスタンの旅 その1 カラコルムハイウエイ | 五郎のブログ

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桃源郷は山の彼方にあります

 パキスタン航空を利用して出発した。客室乗務員は皆男で、アルコールの提供もなく機内は暑くてあまり快適ではなかった。
途中、マニラ空港に寄ったのだが、ピナトゥボ山の噴火の噴煙で日光が遮られていて寒かった。
パキスタン南部のカラチを経由して空路国内線に乗り換え首都イスラマバードに到着した。当時の国内線は、機内の電池持ち込みは禁じられていて厳しい検査をされた。
イスラマバードから車で北部へと向かった。
1991年の旅行なので現在ではだいぶ変わっていると思う。
カラコルムハイウエイと町の様子を紹介する。カラコルムハイウエイは中国に通じるカラコルム山脈を横断するシルクロードをなぞった道路。

 

ターコットカラコルムハイウエイ記念碑
記念碑の左下にクンジュラブ(中パ国境の峠標高4880m)カシュガル(ウイグル自治区、シルクロード要衝の町)、
北京までの距離が書いてある。この記念碑は模様替えされているようだ。

検問所が町々にあり、自動小銃を持った兵士がいて、車内に入ってきて調べることもあった。
車内から撮影したが、橋の撮影は禁じられていて、見つかると面倒なことになる。

 

車で通り抜けた町

 

カラコルムハイウエイからは七千mを超える山々が望める
後ろの山はラカポシ

ラカポシ(7,788m)ギルギット(北部の町)で撮影

ナンガ・パルバット(8,126m)ギルギットで撮影

ディラン(7,257m)ギルギットで撮影

ギルギットの街中で撮影していると、交通整理の警察官が俺を獲れとポーズを決めた。

宿泊したギルギットのホテル、ヨーロッパからの旅客が多かった。

 

カラコルムハイウエイ周辺は岩が多く、岩絵が描かれている場所もあり、ガンジス河畔に見られるようだ。
ガンジス河を渡ってきた仏教徒の巡礼が描いたと思われる。

象形文字かと思ったら、馬に乗って狩をしている絵のようだ。

これとよく似た岩絵が世界中で発見されている。ユタ州アーチーズ国立公園の岩絵も似ている。

カラコルムハイウエイの路線バス、トラック同様派手な装飾がされている。

 

山岳地帯のカラコルムハイウエイにはガードレールは無く落石の多い断崖絶壁の間を通る。
落石でトラックが止まっている。
子供が石を置いて車が来ると石を取り除けて金をもらおうとすることもあるが、運転手は分かっているので、子供を叱っていた。

 

山岳地帯の風景。

北部で最後に宿泊したグルミットのホテルから見える山
6千メートル級の山なので名前が無かった。
7千メートルを超えると名が付くらしい。

グルミットのホテルには中国からクンジュラブ峠を越えて来たヨーロッパ人達も宿泊していて、翌朝パスー氷河に向かう我々を見送ってくれた。