桜姫全伝曙草紙(さくらひめぜんでんあけぼのさうし) 巻之四 (第十六 ) | 五郎のブログ

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桃源郷は山の彼方にあります

第十六 桜姫甦生す、清玄枉死(おうし・横死)す。
 そもそも鳥部野というのは「むなしき跡は数そひて、見し故郷の人ぞ稀なる」と詠んだ通り、無常遷流(永遠不滅のものは無く移り変わり去ってゆくこと)して送らない日もなければ、末の露もとの雫、(死ぬことが)後になったり、先になったり煙が常に絶えず、数々の墓石も多くは苔に埋もれて払う人が有る様に見えない。「幽魂夜月に飛び愚魄(ぐはく)秋風に嘯(うそぶ)く」と詠われたのは、この様な所を言ったのだろう。たまたまあるものは死人の亡きがら、草深くて露が多く極めて不快な荒れ野で、大変寂しい所である。 
 藤六は棺を守って居たが、もう下火の時となり、知らせの半鐘を鳴らすと、墓守の僧に棺を渡し、主人の身の上を気遣って、忙しく走って帰った。
 この墓守の僧は、ほかでもない、これはつまり、清水寺の清玄のなれの果てである。清玄は清水寺を退去して、あちこち方々さ迷い歩いたが、やや正気に戻って、この野の墓守となり荒れた庵に住み、日ごとに送られてくる亡者の下火の時になれば、経を読み十念(念仏)を授けて回向する事が日常であった。
 そしてこの時、桜姫の棺と知らずに受け取って、すでに煙としようと、例のごとく経を読んで回向して、十念を授けていると、何処からともなくかすかに十念を受ける声がする。
 清玄は怪しく思い「この辺には人もいないのに、誰かが答えている。草むらに棲む虫の音か」と疑いながら、また阿弥陀仏と唱えると阿弥陀仏と答える声、まさしくこの棺の中からである。
 清玄ますます怪しんで、立ち上がって近よって棺の蓋を開き覆っていた衣を持ち上げて、月の光によくよく見ると、これはどうしたことか、日ごろ慕っている姫に疑いない。
 病に月日を過ごしたので、肉が落ちやせ細っているが、顔色は変わっておらず唇は今もなを紅で美しい容貌は眠っているようであったので、見間違えることはなかった。
 夢なのか現実なのか区別もつかず、驚いたり悲しんだり感情を抑えられず棺より出し、亡骸を抱きしめて言ったのは「私は愚かで品性の卑しさは、この姫が早くもこの様に成り果てるとは思っていず、愛情の思いが深く、長年の修行を無駄にしたことが悲しくて、九相の詩に『男女の淫楽は、互いに臭骸(悪臭を放つ死体)を抱く』と言うのもその通りである。人は皮(見た目)のみを愛して、ただそれは偽(にせ)の姿である事を知らないのは、誰もがそうだろう。火葬場も多くあるのに、私の住むこの野に送られて、目の当たりに死んで間もない顔を見せられ、私の執着した悪い思いを断たせるのは、よくよく深い因縁だ。いよいよ愚かな心を捨てて、正常な心に帰るべきだ。しかしこの花のような姿を空しい灰にしてしまうのは、惜しまれて悲しいことだ」と一人で嘆き一人で口説き雨のように落ちる涙、姫の顔にハラハラとかかって口に入ったが、たちまち一息ついたので、急いでとまどいながら庵室に抱き入れて、身体を撫でさすり、薬を口に入れて水を注ぎ、身体を寄せて肌を温めたりなどすると、しばらくして甦生する事ができた。
 清玄はただ夢のような気持ちがして「姫気分はどうですか」と聞くと、桜姫は目を開いて、辺りの普通でないのを見て呆然として戸惑い香の煙にくすぶる御仏に向かって「ここはもう冥途ですか。女は五つの何とか言って深い罪があるものなので、慈悲をたれて下さい」と言ってさめざめと泣く様子は、春の花が雨に悩み、秋の草が露に濡れる様であるのを、清玄はしんみりと見守っていたが、突然冷たい風が吹いて、清玄の身体の中に冷え通ると同じく、たちまち心の中が恍惚として再び愛着の思いが起きて、姫の手を取って言ったのは「めずらしいです桜姫、あなたは私を見知らないでしょう、私は清水寺に住んでいた清玄という者ですが、姫がいつであったか清水に詣でた時、私はふと見染めて思いのあまり病に臥し、朝か夕かの儚い命と危険であったのが、ようやく助かってその所から迷って出て、あてもなく姫の所在を捜し歩いて月日を過ごしたのですが、丹波の国桑田の長者鷲尾の息女に桜姫と言うことを、ある人が語るのを聞いて、嬉しさに絶えず、すぐに丹波へ赴いて捜したが、鷲尾家は滅びて、姫の行方は知れないと聞いて、ほとんど力尽きて、とても私の思いをとげることができない約束なのだとあきらめて、先月この庵室に移って、墓守という卑しい身となったが、とにかく病がちでこの姿も衰えた。この場所はつまり鳥部野の火葬場です。あなたは死んでこの荒れ野に送られ、私の介抱で甦生した事は、宿縁が深いからではないですか。ここ二年恋に迷って、身は蝉の抜け殻のようです。命は草葉の露のように消えようとする、恋には人の死などなんでもない、情けをかけてください桜姫、思いを晴らさせて欲しい」と言いつつ、手を合わせて拝めば、桜姫は飛び下がって、顔を覆った袖の端から、恐る恐る彼の様子を見ると、目は落ちくぼんで頭は栗のいがの様で、身体に垢がこびりついて顔は正気でもなく、首は細く腹は大きく、墨染めの裳裾(もすそ・衣服のすそ)は海藻の様に破れてまるで餓鬼道の亡者の様であった。
 ことさらこの庵は墓場の草深い中に立っていて、極めてうっとうしい住まいなので、全ての物が不気味であった。ちょうど荼毘の煙がゆらゆらと立ち登り、臭気が鼻を襲って無常を感じさせた。空に登る香の煙りは、悪鬼が息を吐いたのかと疑わしく思い、風になびくススキは、死んだ人を呼ぶのかと怪しみ、ただ怖さ恐ろしさに耐えられず、打ち震えてまた死んでしまう心地がした。
 清玄はなおも姫に取り縋ってしつこく口説けば、桜姫は声を震わせて「その気持ちはうれしいけれど、私は夫もいるのでお心には従えません。とくにあなたは御仏の姿を学びながら、その汚らわしい思いをお持ちになるあさましさよ、何卒この事はあきらめて下さい」と言って突きのけると、清玄は病後で足の力がなく、後ろに倒れて尻もちをついた。 
 姫はこの間に外に走り出ようとするのを、清玄は倒れながらも裾をしっかりと捉えて「私が毎日恋慕った一念が届いた今日この時、どうして空しく過ごせるか。たとえ戒めを破り阿鼻地獄に墜ちても、姫の為なら構わない、師の僧房より怒りを受け、世間に顔向け出来ない身となっても、皆これは姫を思う為である。辛いのは人の為ではない、必ず自分の身が報われる。優しい言葉を聞かせてくれ」と言いながら起き上がって縋りつくのを、姫は細い腕でも身を逃れようと思うので、力一杯突き倒すと、ガバッと倒れながら、解けかかった姫の帯を身に巻き付けて起き上がり、手繰り寄せた輪廻のつながり、打っても逃げない煩悩の犬、畜生道も目前である。清玄が熱い息をついて言うのは「女性に近づく事は、身を地獄の火の穴に投げ入れるのに例えられているのに、それを知りながらここまで執着することは自分でもあさましく、過去の生まれ変わりの因縁なのか。今は生きても死んでも苦しくはない。さあさあ私の執念を晴らしてくれ」と言い続けて周囲を回れば、姫は恐ろしさに身を縮めて、鷲に狙われた小鳥の様に、逃れられないように見えた。
 この時、キツネに追われたのか雉の雌が一羽庵室にの中に飛び込んできたのを、清玄は追って捕まえて「今まで修行した戒律を破る証拠に、これを見なさい」と、鳥の生血をすすれば、口の周りは血に染まって顔色が変化して、眉毛を立て目を吊り上げ、目を据えてにらみつける光景は身の毛が立つようであった。
 「ああ恐ろしい」と又逃げ出ようとする姫の振袖を引きとどめ「逃げようとしても、逃がすものか。お前がますます言うことを聞かないのなら、この鳥の様に食い殺して、死んで三途の川まで一緒だ。共に冥途の道案内、手を取りあって剣の山、炎の中に引き連れて行こう。覚悟しろ」と言いながら、黒髪を掴んで引き倒し、姫は苦しい声を出して「この辺に人がいるなら、助けてよ!救ってよ!」と叫んでも、物凄く更けた夜の空に吹く風に鳴き渡る雁の声だけで誰も答える人はいなくて、ほとんど危なく見えた。 
 ここで又、弥陀二郎はこのごろ当国に帰って、粟生野の光明寺に寄宿していたが、主君義治が信田平太夫に打たれて、家が滅んだと聞いて大いに悲しみなんとか平太夫を打ち、家を再興するべきだと思い、五三昧(近畿地方にあった五か所の火葬場)を巡る修行者となり、ここあそこと隠れて、時がくるのを待つ同志の義士達と話し合っていたが、この夜この火葬場にきて、この庵の中から女の叫ぶ声がするのを怪しんで、垣根の外に立って様子を窺っていたが、桜姫と呼ぶ声を聞いて、顔は見知らぬとは言え主君の姫君であることを知り、大いに驚いて中に走り入り、清玄を引きのけて姫を囲い、声を荒げていった「お前は法師の身として許しがたい振舞いだ。かりにも仏の道を学ぶ身であるので、このまま許しておくぞ」と、姫を連れて出て行こうとするのを、清玄は押し止め「いやいや、姫を返さない。三世の諸仏に憎まれ、天魔に魅入られた我であれば、今は何を嫌がるのか、たとえこの身の生き皮を剥がされて賽の目に刻まれてもこうまで思い込んだ一念変えるものか、結局奈落に沈む身だ、姫を一緒に連れて行く」と言って、あれに荒れて飛び掛かれば、弥陀二郎はしかたなく、杖に仕込んだ刀を抜いて、峰打ちで打ったが、手先が回って肩先深く切り込めば、ひと声「あっ」と叫んで倒れ伏した。
 弥陀二郎これを見て「これは誤ったか、思わぬ殺生あわれだ。しかし姫の御身にはかえられない」と口の中で念仏を唱えながら、姫の手を取って急いで出たが、清玄は血に染まって、むくと起き上がって前に回り「ああうらめしい、腹が立つ。目の前に修羅の苦しみを見るのは誰の為だ。姫の為に生きながら地獄に堕ちるこの恨み、生きかわり、死にかわって、思い知らせずにおくものか」と言いつつ、姫めがけて駆け寄れば、二郎は今度は止むを得ず、飛び掛かって斬りつけた。斬られて倒れるその間に、姫を伴って行く先に、また立ち上がって駆けて塞がった。じっとにらむ眼の光、恐ろしいと言っても足りない。
 「さてさて、法師にも似ない執念深いやつめ」とまた斬りつければ、がばと倒れる。 
 姫は袖も裾も食い裂かれ、夢の中の道を歩くような気持ちがして、歩くのをためらっているところへ空が突然曇って、大雨が激しく降って、暴風が林を倒す様で、物凄い有様になった。
 風雨がますます激しくなって、髪も裾もはらはらと吹き戻され、走る事もできず、後ろの方を見ると、一かたまりの火の玉がめらめらと燃え上がる。これは奇怪と驚く所に、清玄の姿が柳の枝に出現して、もっとやってやると姫の後ろの髪を引き戻す。二郎は怒って、刀を振り上げて斬り払いながら、姫を背負って、ようやくここを逃れ出た。実に危ないところであった。
(曙草紙巻之四終)
 
(怪談になってきました。次回からは最終巻になります。西洋風に表現するとnightmare【夢魔】、Poltergeist【騒霊】、Doppelgänger【二重身】、Exorcist【悪魔祓い師】、Zombie【死人憑き】など様々なparanormal phenomena【超常現象】がprincess Cherry【桜姫】を襲います{訳者})
(図の文言 桜姫死して鳥部野の荼毘所に送らる清玄零落して墓守となりはからず姫の屍をみる)
 
(図の文言 桜姫甦生す清玄再凡情を起て姫を悩ます弥陀二郎姫をすくふ)
(図の文言 弥陀二郎誤て清玄を殺し姫を扶けて逃ゆかんとす清玄の亡霊後髪をひきもどす)