桜姫全伝曙草紙(さくらひめぜんでんあけぼのさうし) 巻之四 (第十五 ) | 五郎のブログ

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桃源郷は山の彼方にあります

第十五 桜姫薄命を悲しみて、ふたたび病に臥す。
 ここにまた、桜姫は山吹と共に館から逃げ出て、亀山の辺まで逃げ行ったが、母親の野分の方の身の上が心配で、行方を捜して一緒に行こうと言って、遠くへ離れるのを嫌がったが、山吹は言った「そのように思うは道理ですが、この辺を彷徨っていて、もし信田の追手に捕まれば、二度と逃れられません。一旦都の方へ逃れて、隠れ家を見つけた後で、人を使って捜すことにしたほうが良いです。お母さまは男にも勝って、勇猛な心のあるお方なので、簡単に捕らわれるなどはあり得ないです。さあ、行きましょう」と言って、足を向けたその時、果たして信田の家来が後を追ってきて、姫を取り囲んで捕らえようとした。
 山吹はけげしく(意味不明、勇ましいの意味か?)抱え帯(着物の裾をたくしあげた時に用いた帯)を引き上げ、刀を抜いて斬り払い、押したり返したり戦ったが追手がますます増えて、二人を生け捕って高手小手に縛って繁った林の中に引き据えた。桜姫は頻りに涙を流して薄命を悲しみ、山吹は歯ぎしりして後悔したが何の甲斐もなかった。
 追手の者達は二人を真ん中に据えて、車座に居並んでしばらく休息したが、一人が言うには「俺が先見つけたので、賞金をもらったら、俺はその半分を受け取る」と言う。一人が言うには「お前は先に見つけたが、あの女に切り立てられて、最初に逃げただろう。俺があの女を捕らえて、第一の功労者だ」と言う。又一人は「結局、桜姫を捕らえた者がこそ一番の功労であり、賞金を多く受け取るのは俺だ」と言って進みでれば、残る者達は口を同じくして「ここに居る者、いづれもこの事に功労があった、賞金の配分は平等にするべきだ」などと互いに言い争い、ついには同士打ちをして、大騒動となるのは卑しい事である。
 この様な状況に、背後の大樹の陰から、一人の美男子が、明るく光る刀を振るって飛び出し、追手達を散々に切り立てれば、その勇ましい勢いに恐れ、秋の木の葉が散るように、東西に逃げ去った。
 その美男子は、やがて二人の縄を斬って、地面に臥せて恭(うやうや)しく言ったのは「姫君は私を見知らないでしょうが、私は御家の家臣篠村八郎公連の一子、二郎公光と言う者です。十七年以前、殿のお怒りを受け、浪々の身となった経緯は、一度の話では終わらないので、おいおい話しましょう。私は御館に行って、これまで酷く苦しんだ仔細を申し上げて、お怒りのお許しを願をうと思ってやってきた途中で、殿が信田平太夫の刺客の為に打たれて、御家滅亡の理由を聞き、気力を失って戻る道で、この林の中が騒がしいのを怪しんで、物陰よりうかがっていると、あの者達が姫のお名前を話したので、お顔は知らなかったのですが、それと悟って驚いて救いに参りました」と述べれば、桜姫「さては伝え聞いた公光であるか。この様な危急の時に、あなたに会ったのは誠に神仏の助けです」と言って喜んだ。
 山吹は、公光のそば近くによって「あなたは、私を見忘れましたか。私は幼かった頃、あなたと許嫁であった佐伯平弥二の娘、山吹です」と言う。
 公光は、顔をしみじみと見つめて「いかにもそうだ。ひと昔が過ぎて顔形が変わったので見誤った」と、互いにしばらく語り合って、山吹は、野分の方の行方が知れない事を語って気づかい、公光は「そうであるからには、まず姫の身を安全にする計略をたてて、母上の行方を捜し、信田平太夫を打って亡き殿に供え、御家を再興するべき。この事は大きな望みであるので、すぐには事を成し遂げる事はできない。私は今、山州の小野の里に住むが、身が貧しくて姫を安らかにする便利さがない。これだけが差し当たっての難儀だ」と言って悩んでいる時に、一羽の鳩が飛んできて公光の懐に飛び込んだ。
 公光は、これを掴まえて「お前は野鷹に追われたのか、窮鳥懐に入る時は、狩人もこれをとらないという。我々も同じ窮鳥なので、さっさと飛び去され」と放してやるが、また飛んで帰って懐にはいる。これを三回繰り返して不審に思ってよくよく見てみれば、頭は金色で全身瑠璃の色をして普通の鳩ではない。
 公光は言った「この鳥三度まで私の懐に入ることが不思議だ。近頃大内(皇居、宮廷)で鳩合わせを好まれるので、公卿殿上人が競ってこれを愛でて、鳩の値が高いのは過去に例がない。この鳩を売れば、多くの金額を得る。これは正に私の氏神、篠村八幡が授けて下さった物だ」と大いに喜び鳩を懐に入れて、山吹と一緒に姫を守って、自分の住み家に急いで帰った。
 こうして公光は家に帰ってあの鳩を売ると、結果は多くの金銭を得て大いに喜んで、少しも自分の為に使わず、すべて姫の為のみに使った。
 この家は近頃移り住み、もとは人が住んで荒らした空き家なので、軒端は傾いて壁は崩れ、今にも倒れるのではないかと思われる古い家で、窓は蔦葛(つたかずら)が這って覆い、庭には葎(むぐら)が生い茂って、板敷も朽ちて、簀の子も破れて、床の下から草が生えて、不気味な感じがするうっとうしい住居なので、姫も慣れない気持ちで物恐ろしく心細い感じに思ったが、ここは人里に遠く、隠れ家には非常に良い場所なので、よそに移って信田方に、漏れ聞こえるよりはましだっだろうと思い、あの金があれば、家を造りかえるのも簡単だが、それも人の目につくのを嫌がって、一間の塵を払って屏風で囲って、せめて姫の身のまわりの道具は清潔な物にしようと、ひそかにもとめて来て、繧繝(うんげん・同じ色を濃から淡へ、淡から濃へと層をなすように繰り返す彩色法)が縁の畳二畳に唐綾の敷物をしき、几帳、衣架け、机、火桶、燈台などを皆新しくして、朝夕に使う食器なども、螺鈿(らでん・貝殻を使った模様)などの装飾のあるのを用意して、この様なあばら家に似あわなかった。
 香炉に良いにおいが絶えず、香りが一部屋に満ちて、天津乙女(天上に住むと考えられる少女。てんにょ)が、卑しく小さい家に天から降りたのかと疑われる様子であった。
 この様に一心に真心を尽くして、公光は毎日出かけて野分の方の行方を捜し、山吹はそばを離れず仕えたので、桜姫はその心を感じて、袖を絞らない日はなかった。
 この様に過ごしていたが、父を討たれて家が滅びたうえに、母の行方は知れず宗雄には遠く別れて、悲しいことの数を重ねたので、片時も心を慰める事もなく、昼は終日に思い暮らし、夜は八声の鳥(にわとり)と泣き明かし、どうなってしまう自分の身なのだろうと、嘆くのは憐れである。
 公光は、姫の嘆く様子を見るにしのびず「播磨に連れて行って、宗雄の主人にお合いすれば、少しは憂さも忘れるかも知れない」と、山吹と話し合い、その支度をするうちに、姫の気分が平常ではなく、悩み煩って、二人は大変驚いて、枕元に寄り添い、良薬を使って神仏に祈り、心を尽くして看病したが、しだいしだいに弱り、日がたつにつれて頼りなくなってゆき、ついに最後の時と見えたので、山吹は、姫の額を撫でて「お話しておきたい事がありましたら告げて下さい」と泣きながら言へば、桜姫「この度はとても快気する事はないとかねてより覚悟していたので、言い残すべき事を書いた手紙があります、亡くなった後で見なさい。館より逃れた時も肌身離さない観音の小像はお母さまへ、香の包みは宗雄殿へおくってよ。守り刀は公光に、直垂鹿の子(模様)の小袖はあなたに与えます。後の形見として見て欲しい。私のこの黒髪は朝に夜に気を使い、大切にすることは宝玉の様です。亡くなってからも飾りを取らず、美しい着物を着せて身なりを失う事がないように。これまでのあなた達の心づくしは墓の下で賞賛します」言い終わって、苦しい息をしながら念仏を唱えるも、少し唇が動くだけとなった。
 わずか十七歳を最後として儚い夢と醒めて終わった。ああ悲しい事だ、ああいたわしい事だ この日はいつの日か、承元二年八月の日である。
 山吹は、水で姫の唇を湿しながら、むせかえって嘆いたが、しばらくして言った「この姫を扱いなれてから後、一日一時も離れる事はありませんでした。私の身が歳をとる事は考えず、とにかく長生きしてと、明けても暮れてもそれを思って育て、月や日の様に仰いでいましたが、ただいまこのような目を見ることは、なんともせつない。うとうと寝て目を覚まして、山吹、山吹とよびなされるお声が耳の底に残って、ただいまのお姿が幻にちらちらと見えれば、さらに忘れられることはできません。これより生きてたとしても、千年万年を過ごすことはありません。死後の三途の川を誰かが渡してあげるべきで、恐ろしいと思った時は、まづ私にこそ頼って下さい。生きていて思うのも苦しいので姫のお供いたします」と言い終わらずに、氷のような刀を抜いて、喉に突き立てようとするのを公光は押しとどめ「お前は悲しみのあまり狂気になったのか。野分の方の行方を捜して、信田平太夫を討って御家を再興するまでは、お前も私も大切な命だ。今死んでなんの意味がある」と、いろいろ説得をして、山吹はようやく死ぬのをやめて、公光と共に葬儀の支度をした。
 「せめて御遺言の通りにいたします」と、山吹はしっかりと姫の亡きがらを抱き上げて、湯で清め、生きている時のように髪を結って、櫛、笄を差して飾り、顔を化粧で彩り、白綾の下重ね括り染めの緋の上着、唐織の袿衣(うちぎ)を着せると、生きているように美しかった。
 さて、棺を求めて亡きがらを納めて、藤六という年老いた代々仕えてる家僕で忠義の者で、この隠れ家を捜して来て仕えていたのを相手に、公光自ら棺を担いで、世を隠れている身なので日が暮れるのを待ち、あたりの近い寺に送って行き、死者が悟りを得るように法語を唱えてもらい、それから鳥部野の火葬場へ行って藤六を帰らせ野良犬に遺体を損じられたり、盗賊に遺財を狙われたりするのを恐れ、公光自身で棺を守り、しばらく下火(あこ・禅宗で火葬の時、僧が遺骸に火を付けること)の時を待っていると、少しして藤六が慌てて駆けつけて来て、告げたのは「信田の家の者達が、姫君を奪い取ろうと乱入して、姫を隠したのだろうと思って山吹様を縛って、糾明すると引き立てて行きました。私が止めようと争いましたが、適にするには困難で、引き返しました。早く追って行って救ってください」と、息もつかず伝えれば、公光は驚いて「それは思いがけない事だ。お前は下火の時まで、この棺を守って居てくれ」と言いおいて飛ぶように走って行った。
(図の文言 篠村二郎山吹女とともに小野の里の荒屋に桜姫を養)