桜姫全伝曙草紙(さくらひめぜんでんあけぼのさうし) 巻之四 (第十三 ) | 五郎のブログ

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桃源郷は山の彼方にあります


 第十三 盲女小萩雪中にきう(亻に曲と記されているが窮と思われる)死す。
 さて野分の方は蝦蟇丸に誘われて、愛宕の山奥に至る道すがら、良さそうな場所で踏みとどまり、あの宝刀を抜き、唐竹割(真っ二つ斬ること)と切りつけたが、蝦蟇丸は身をかわして飛び下がり「婦人、はやまらないで下さい。少し手を止めて私の言うことを聞いて下さい」と言った。
 野分の方はカラカラと笑い「並みの女と侮って嘘をついても、どうして騙されるか。お前池の中から熊手を出して、私を水中に引き入れ、またこの様な山中に連れてきたのは、私に危害を加え物を奪おうと考えているに疑いない。私がここまで来たのは、お前を試すためだ。覚悟しろ」と、また振り上げる刀の下に、蝦蟇丸は山刀を投げ出して「婦人、そう思われるのは当然です。しばらくその刀を預けます。敵対する心がないのを信じて、私が言うことを聞いて下さい。婦人の眼力の通り、私は盗人です。そうと言っても婦人に危害を加える心はなく、その故を話します。しばらく此処へ」と、そばの古社を指させば、野分の方疑いながらも、太刀を鞘に納め、前後に気を配りながら古社の中に入った。
 さて蝦蟇丸が言ったのは「私は水上に帯を浮かべて、往来の旅人がこれお拾い取ろうとする時、水中に引き入れてしめ殺して、衣服、金銀を奪うことを仕事としている。今日もすでに婦人を引き入れて、絞め殺そうとしたが、婦人の容貌が美麗なのに心迷い、一命を助けて、ここまで一緒に来ました。私の愛情が深いのを察して、今より心を傾けて私の意向に従えば、妻として生涯満足します。婦人の手並みを見ると、尋常の女性ではなく、頗る武芸の優れた所がある。そうと言っても、私の術には敵う事はできません。婦人の衣服の襟を見なさい]と言うので、野分の方は襟元を探ってみれば、いつの間に打ち付けたのか手裏剣が三本まで縫い付けられていた。蝦蟇丸はカンカンと笑い「それもし、私の言葉を承知しなければすぐに一命を失う。いかにいかに」と言う。
 野分の方、彼の手練を知り、かつ愛情が一途であること聞いて少し気持ちが弱まり、つくづく蝦蟇丸の容貌を見ると、年の頃は三十七八才と思しく、眉目秀麗、全身白雪の様で、身長は六尺(180センチほど)に近く、世にも稀な美男子である。これまではただ彼を怪しむだけで、容貌の良さに目をとめなかったが、浮気っぽい心が出てきて、よく見ればこの様な美男子であれば、元からの婬婦、突然心が動いて、ことさら彼が武芸の達人であるのを見て、尋常の者でなく、由緒ある者が落ちぶれて、このような身に転落したのだろうと察しどうせ目指してゆくあてもない身であり、路頭に倒れて餓死するより、ひとまず彼に身を任せて一命を保ち、後日良い計略を立てたほうが良い、と心を決めて「あなたが私を思う心が実際に深ければ、私もまたあなたを慕う心は浅くない、とにかく好きにしたらよいだろう」と微笑むと、蝦蟇丸は大喜びで「わたしには妻がいるが、盲目となってものの役に立たないので、いつも嫌々居るけれど、これまで耐へ忍んで養ってきた。彼女を追い出すまでは、あれこれ言って騙す、婦人これを心得てくれ」と言って教えて、ついに一緒に隠れ家に帰り、妻の小萩に語ったのは「今日も京の町に行って、物を売って帰る途中に、池に落ちたのを助け上げたので、いわれのあるお方が彷徨って、迷い歩きなさった様子だ。あまりに気の毒なので、ここまでお連れした。お前は気を配っていたわりなさい」と言った。小萩は元から慈悲のある女性なので、夫の言葉を信じて、情け深く言う事に、野分の方はそれなりに答えて、これよりこの家に滞在した。
 さて小萩と姉妹の娘を庖厨(くりや・台所)に住まわせて、炊事の水を汲む仕事をさせ、野分の方を一間隔てた部屋に住まわせて生活をさせ、妻が盲目なのを良いことに、互いに密に文字を書いて語りあった。
 ある時蝦蟇丸は「あなたは何という人の成れの果てか」と尋ねると、野分の方は嘘を言った「私はもとは福原(ふくはら・神戸にあった平清盛が皇居をおいた場所)の皇居に使える官女であるが、平家滅亡の時、親族皆失って頼る所もなく、乳母の家に養われて、辛い年月を過ごしていたが、この頃乳母が亡くなって、乳母の子の何某が情けのない者で私を追い出し、私に辛い目を見せた。あなたもまた、ひどい身分の低い者には見えず、どのような人か」と言った。蝦蟇丸も嘘を言って「自分は伊賀の国山田郡の住人、平田平四郎貞継法師(さだつぐほうし・源平盛衰記に登場する)の子である。今は源氏の代になり、世間も居ずらいので、この様に人に知られない山中にかくれ住んで、生業とするべき手段もないまま、心ならずも賊となった。話し合ってみればあなたも私も、平家の重い恩を受けた身であれば、夫婦となるのも良い縁ではないか」と語りあって、しだいに愛情が深くなって、しばらく月日を送った。
 このようにして、梢の蝉の声も弱り、風の音に驚かされ、残る松さえも峯にさみしい冬の時へと移り変わった。ますますうっとしい谷間のあばら家に、肌寒い夜風を耐え、耳に聞こえるのは木こりのうたう歌か牧童の吹く笛の音、眼を遮る物は竹林の煙や松林の霧の色のみである。
(和漢朗詠集の 山路日落 滿耳者樵歌牧笛之聲 澗戸鳥歸 遮眼者竹煙松霧之色 と思われる{訳者})
 普通の人が住んでいられる所ではないが、野分の方は愛情に心が惹かれて、わびしい生活も苦にならずただ歳の盛りを過ぎて、色香が失せることを悲しんで、ひたすら姿を美しく飾ることに心をつくし、貴族の血を引くとは言いながら、幼い時は貧しい家に育った身なので、この様な住まいも慣れない気持ちはしなかった。しかしながら又嫉妬の悪癖が起こり「小萩親子三人を、いつまで無駄に養っておくのですか。さっさと追い出してしまいなさい」と蝦蟇丸に催促した。
 蝦蟇丸が言うのには「姉妹の娘は容姿が良いので、今しばらく養って、船が停泊する港の妓女(うかれめ・遊女、芸妓)に売れば、良い値段になる。小萩は近いうちに追い出す」といって、折りを見合わせていたが、ある時に小萩は蝦蟇丸の近くに探り寄って言ったのは「私がこの頃推量するのはあの女官といって連れてきた婦人は、あなたの隠し妻に間違いない。そうであっても、私はこの様に盲目となった身なので、少しも恨むべき心はないのに、どうしてはっきりと言ってくれないのですか」と言う。
 蝦蟇丸はいう「おまえなんの事を言っているんだ。あの官女の身の上を聞くに、福原の皇居に仕えた官女である。私の父は平家に厚い恩を受けた人なので、平家一門と聞いて見捨てがたく匿っておくのを、お前は追い出そうと思って、そう言うのだろう。お前は盲目となってものの役に立たないのを、夫婦の情けを思って、これまで養ってきた恩を顧みず、そのような悪い思いを募らせるのは、何の理屈だ。夫婦の縁はこれまでだ。とっととこの家を出て行け」と言えば、小萩は泣き声になって「この頃、あなた達二人が、私を追い出そうと計略していることを、とっくにこれを推量した。この家は前夫の家です。あなたは後の夫でありながら、私を追い出そうとするのは筋違いです。それほど私を嫌うなら、あなた達がここを出ていきなさい。私は少しも動きません」といえば蝦蟇丸は眼を怒らして、荒々しい声で「口の達者な女め。去らなくても、追い出さずにおくものか。とっとと出ていけ」と縁より下にはたと蹴落とせば、小萩は悔しさ悲しさに、歯噛みをして「いかに言おうとも、この家を動かない」と言いながら、あっちこっち探って、縁の上に這い上った。
 この時後ろで咳する声がした。蝦蟇丸これに振りかえると野分の方が一間の破れ障子を少し開けて、こちらを窺い目で知らせると、蝦蟇丸はうなづいて、小萩をとらえて「にくい盲(めくら・現在は差別用語)め、つらい目を見せないと去らないだろう」と、まくった手で黒髪を絡んで引き倒し、麺棒を取って続けて打ちに打つと、たちまち皮と肉が破れ、鮮血が噴き出て全身赤く染まり「ああ、苦しい」とうめくと、松虫(十三歳)鈴虫(十歳)の姉妹の娘が、蝦蟇丸の左右の手にすがりつき「私達を打って、母様をゆるしてよ」と言ってなきさけぶのを、蝦蟇丸は耳にも聞き入れず、二人を突き倒して、また振り上げれば、姉の松虫は起き上がり、母の上に重なって「これ、私をかわりに打って、母様を許してよ」と言いながら両手を上げて支えたが、妹の鈴虫は姉を隔てて中に入り「いやいや、私をかわりに打ってよ」と姉妹互いに身を押し出して、母をかばう孝行をしようとする心のけなげさに、小萩は身も失せ心も消えるおもいで、苦しそうに息をついて「この上は、なすすべもない。姉妹の子供を連れてでて行く。私は親族も皆失って立ち寄る所もないので、今ここを出れば、今よりすぐに乞食だが、たとえ飢え死にしても、親子三人手を取り合って飢え死にしよう。前世の運が悪い母ゆえに、辛いめに合う不憫さよ」と、二人の子供にひしひしと取り付いて泣いたが、しだいに涙をはらい「さあ来なさい」と、手をとって出て行こうとするのを蝦蟇丸は押し隔てて「この娘たちは血を分けた子供ではないが、自分が養育した娘なので、お前に一緒にはやれない。お前一人で出て行け」と襟首を掴んで切戸の外へ突き出し「離別の証拠はこの杖と破れ笠、これを持ってゆけ」と投げ渡し、戸を閉めて中に入ると、姉妹は泣き叫び「それは思いやりがない、私達も一緒にやってよ」と走り出ようとするのを引きとどめ、薪を縛る縄をとって、二人を左右の柱に縛りつけた。
 実に屠児(えとり・とじ・獣類を屠殺する人)が家に羊をつないだ様で、思いやりがないとかでは言い尽くせない。頃も厳冬の時期で、雪が強く降っていて、小萩は雪の中に倒れ伏して、身に着ていたものは襤褸(つづれ・らんる・継接ぎした粗末な布)の着物一枚で、寒気が傷口に冷えて通って痛みが耐えがたく、息も絶え絶えにうめいた。其時野分の方は一間を出て、蝦蟇丸のそば近くに並んで「とても寒い日なので、あなた薄着して冷えないように」と、背後から着物を着せて、囲炉裏の中に柴を燃やして、酒を温めて酌み交わして、向かいの峯を見て「時節でないのに、花が散るのを見るよう。ほんとに雲の向こうは春なのかと疑うのはもっともです。木々の雰囲気、山々の景色、言葉で言いようもない」と独り言を言って、小萩親子の哀れな様子に目もくれず打ち笑う心は鬼と言うべきである。
 小萩はかろうじて網戸に取り付いて起き上がり「やれもし蝦蟇丸殿、私を追い出すのはどうしようもないが、二人の子供を引き留めるのは思いやりがない。私の前世の報いか、盲目となり、なにかと不自由な中にも、どれほど苦労をしても育て上げ、明けても暮れても撫で擦った愛しい子を、どうして残してゆくことができるのか。一緒に行かせて下さい、これ聞き入れてよ、慈悲ぞ情けぞ」と口説きたてては吹雪に打たれてはたと倒れ、倒れては起き上がって口説きたて、身を悶えて嘆き、涙と血が混ざりあって滝の様に流れた。この悲しみの中で、雪は強く降り乱れ、谷の氷柱は固く閉じて、剣の山(地獄にある山)も目前である。松に吹く風は肌を裂いて、氷の地獄の苦しみがあった。身は紅色になって、紅蓮、大紅蓮(だいぐれん・極寒のために亡者のからだが裂け、赤い蓮の花のようになるという地獄) にいる亡者の様である。
見る見る黒髪に氷柱が下がって、鈴を掛けた様にカラカラと鳴り、生の身も氷って固まり、たちまち枯れ木の様になった。
 姉妹は括られながらも、蝦蟇丸に言った「情けと思って、おかあさんと一緒に行かせてよ」と言いながら、伸び上がっては母を見て嘆いた。小萩も依然として離れず「私は目が見えないうえに、手足が凍えて、とても行くことはできない。せめてもの情けに今日一晩この家に過ごさせて」と言って搔き口説くのに、どこまでも邪悪な蝦蟇丸も少し心が揺さぶられたが、野分の方はその気配に気づいて、蝦蟇丸の背中をついて目配せをすれば、蝦蟇丸は頷いて、「なんとうるさい女だ。どう言っても行かないなら、この子供等を目の前で打ち殺すぞ」と麺棒を取って連続して打ちつけると、二人は苦痛に耐えず「ああっ」と叫んで倒れた。小萩は子供が苦しむ声を聞いて、五臓六腑(ごぞうろっぷ・内臓)が裂けて千切れる思いがして「やめて、やめて、ちょっと待っておくれ。とても叶わないことなら、思い切って一人で行くから。かならず子供達を打たないで」と言って、よろめく足を踏みしめながら、起き上がり、破れ笠を被って杖をついて二歩三歩と歩いたが「母さま、母さま、ねえお母さま、私達も一緒に連れて行って」と呼ぶ声に惹かれて戻ったが、戻れば蝦蟇丸、さらに姉妹を打って苦しめる。行けば二人が呼び戻す、戻れば蝦蟇丸はチョウと打つ。行きつ戻りつ揺れ動いて、愛情の絆に繋がれ、四子にわかるる桓山の鳥(中国の故事、親子の悲しい別れの例え)にも勝る思いで、雪の上にガバと伏し、むせかえって嘆いた。
 野分の方は蝦蟇丸をすすめて、二人を打たせれば、小萩は姉妹が苦しむ声を聞くのが堪えられず、胸さえ眩む盲目の、子の為に闇の雪道を倒れたり転んだりしながら出て行った。すでに日も暮れ果てれば、野分の方と蝦蟇丸は手を取りあって一間の中に入り、再び酒を温め替えて酌み交わし、しばらく時間が過ぎると、野分の方は笑って「あの女を追い出してようやく胸が晴れたが、あの盲目の身で、この様な雪道を歩くとなれば、まさか遠くまで行くことはありえない。もし近くで凍死などして、人の目につくと良くない。このように処理して下さい」と、耳にあてて囁やくと、蝦蟇丸もいかにもその通りと思い、衣服の裾をまくり上げて裏口より走り出て、跡をたどって追って行った。
 さて痛々しいのは姉妹である。左右の柱に縛りつけられて、強く打たれて簀の子の上に倒れ伏し、意識もはっきりとしていなかったが、姉の松虫がようやく頭を上げて「鈴虫、鈴虫」と忍び声で呼べば妹も頭を上げて「姉上、たいへんな身の痛みでしょう。私も耐え難いです」と言う。松虫が言うには「私達の苦痛は我慢もしようが、ただ、苦しいのは母上です。寒さの激しい雪の夜を歩いて行くのであれば、今頃は途中で凍死なさっているかも知れません。一緒に跡を辿ろうと思っても、このように縛られていてはどうしようもない。父上(蝦蟇丸のこと)は辛くても、一旦父上と頼って従ったので、恨む理由はないが、ただ情けないのはあの官女です」
と言ってさめざめと泣くと、鈴虫も声を忍ばせて泣いて、世界中の哀れを二人に寄せ集めた思いであった。ちょうど峯を越して雪を巻いた風が、サッと吹き降ろして二人をドッと吹き倒し、またも意識を失った。
 しかるに蝦蟇丸は、雪中の足跡をたどって砕瓊乱玉を蹴散らして(さいけいらんぎょく・玉を砕いて乱す、たぶん雪を蹴散らす表現と思われる)小萩の跡を追跡して、古社の軒下に倒れて伏し、死にそうで、ただ細い息をしているのを、無情にも絞め殺して、肩に遺体を担いで、人の通らない山奥に運んで、深い谷底に捨てて帰った。
 誠にこれは、他に例を見ない悪行である。
(次回は、極悪な野分の方に姉妹は凄惨な虐待を受け、美少女と幼女が過酷な運命に出合うので気の弱い人は覚悟して読んで下さい。{訳者})
 
(図の文言 野分の方蝦蟇丸の妻となり前妻小萩を雪中に追い出て松虫鈴虫兄弟の幼女を打しむ)