海外転勤となった後輩の話し | 横フナ電車区管理人のブログ

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自分の鉄活動日記を公開。動画(主に抵抗制御の電車関連)も公開中。
鉄道以外にも自分の好きなことを書いたりしています。

「そういや~松戸時代の後輩が、インドネシアとフィリピンに旅立ったそうやな。」
「松戸時代の後輩って、あのアルミの203のことか?」
「そうや。あの203がやで」
「へ~そうかいな!ビックリたまげたわ!武蔵野の103、しかもATC高運のやつもインドネシアにいったこともビックリやけど、今回はそれ以上だわ。」
「しかもだよ、フィリピンへ行った203は客車としての扱い、オレンジ帯に塗られて窓に金網貼られて、冷房使うために車内に発電器を積んだんだとなw」
「オレンジ帯というと、環状線、関東流にいうと中央快速かと思っちゃうやな。ところで国内には203はもうおらへんのか?」
「マト63君のクハ1両だけ個人譲渡されたくらいで、他は鉄屑になったか、海外へ行ったかのどっちかだ。」
「うわ~ほんまかいな。東はホント通勤・近郊形の置き換えが早すぎるわ。森ノ宮や奈良へ行けば201が動いてるのに、日根野にはまだ103の低運がいるくらいだからな~。それどころか、俺達もとっくに廃車になってもおかしくない年齢だわ。」
「でも、松戸から関西に来た時も、最初はショックやったけど、日本語が通じるだけまだマシだと思ってるわ。203は言語の違う所へ行くし、文化も違うからな。それ考えりゃ~俺達はまだ楽だよ。」
「俺達が関西弁がクセになったように、あいつらもインドネシア語やフィリピン語になっちまうんさかいな。まあ標準語もまだ話せるけどな。」
「さて、まだまだ仕事や。頑張るか。」


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 日根野電車区 新在家派出から、こんな会話が聞こえてきそう。この105系電車は、元々は103系1000番台として松戸に配属され常磐緩行線・営団地下鉄 千代田線で使われていた。
 後継車の203系電車が配属されると、和歌山線・桜井線用に1M方式の105系電車に改造され、現在に至る。
 国鉄のままなら203系も関西へ転属してもおかしく無さそうだが、JRになってしまった現在、もうこのような広域転属も滅多にないだろう。
 そのためか、海外譲渡が近年、かなり増えましたね。

 写真は、前面行先表示機が何故か白HゴムになったP1編成のクハ105‐8。黒ゴムが多いJR西日本で見ると、輝いて見えてしまう。この姿でずっと走ってほしい!

(2012年4月1日、和歌山駅で撮影。)