平家が滅亡したのは、平安末期の元暦2年/寿永4年3月24日の壇ノ浦の戦いじゃね。

 

西暦にすると1185年4月25日じゃ。

 

あれから840年経ったんじゃね。

 

♪祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり♪

 

で始まる平家物語は、人間や社会の有為転変を如実に表していて、現代にも通じるテーゼを読み取ることができるね。

 

わしゃ、この平家物語の中では、巻六に登場する小督の局(こごうのつぼね)が大好きじゃ。

 

小督は1157(保元2)年に桜町中納言藤原成範の娘として生まれたが本名は不明のようじゃね。

 

たぐい希(まれ)な美貌で、しかも筝(こと)の名手だったそうな。

 

 

平氏全盛の平安朝最末期に、当時の天皇高倉天皇は最愛の寵姫を亡くし悲嘆に暮れていたそうな。

 

平清盛の娘で、中宮だった建礼門院徳子は、天皇を慰めようとして、美貌と筝の名手として名高かった、藤原成範(ふじわら の しげのり)の娘を紹介したんじゃよ。

 

当時、彼女は藤原 隆房(ふじわら の たかふさ)の愛人じゃったが、中宮の命令には逆らえなかったんじゃろうね。

 

宮中に上がった成範の娘は小督局と呼ばれ、天皇の寵愛を一身に受けた。

 

しかし、平清盛は、天皇が中宮である娘を差し置いて小督に溺れるのを見て怒り狂い、小督を宮中から追い出してしまったんじゃ。

 

小督は清盛から逃れて京都嵯峨野に身を隠し、天皇とも音信不通となってしまったよ。

 

天皇は嘆き悲しみ、密かに腹心の源仲国(みなもと の なかくに)に小督を探し出して連れ戻すように命令したよ。

 

いい気なもんじゃね。

 

 

仲秋の夜、嵯峨野に行った仲国は、月明りの下で得意の笛を吹いたよ。

 

小督が応えてくれることを期待したんじゃね。

 

すると、期待通りに筝の音がかすかに聞こえてきたよ。

 

馬を速めて辿り着くと、粗末なあばら家じゃった。

 

平家物語の原文を紹介しよう。

 

亀山のあたりちかく、松の一むらあるかたに、かすかに琴ぞきこえける。

峰の嵐か松風か、たづぬる人の琴の音か、おぼつかなくは思へども、駒をはやめてゆくほどに、片折戸したる内に琴をぞひきすまされたる。

ひかへて是をききければ、すこしもまがふべうもなき、小督殿の爪音なり。

楽はなんぞとききければ、夫を想うて恋ふとよむ、想夫恋といふ楽なり。

 

高倉天皇は幸せ者じゃね。