お前さんたち、秋田といえば「なまはげ」、「なまはげ」と言えば秋田と思うんじゃないかね。

しかし、わしが住んでいた、雄物川中流の仙北地方では、なまはげの風習は無かったよ。

ありゃあ、秋田の北西部の男鹿地方の郷土伝統行事なんだね。

 

わしが中学生か高校生くらいの時に、大曲(当時は町、今は大仙市)のデパートに、客寄せのために男鹿から呼んだなまはげを見たのが初めてだったよ。

 

初めて見たなまはげは、角の生えた恐ろしい顔の大きなお面をつけて、蓑を着た上から昆布を下げ、藁の靴を履いて、木製の大きな出刃包丁を振りかざし、

 

「泣ぐ子(ご)は いねぇがー」

 

と叫びながら、子供を追い回していた。

 

子供たちは怖がって、泣きながら母親の背中にしがみつく子もいたね。

 

わしは、なぜか怖さを感じることはなく、なまはげのお面はどうやって作ったんだろうかと、それを知りたくてじっくり観察したよ。

 

わしの観察したところでは、あの面は米を精米する時などに使う、竹製の箕(み)の一種で、片口ざるとも呼ばれているものの上に紙を張り付けて、そこに怖い顔を描いたものだと思ったね。

箕(み)は、穀物の選別や運搬、乾燥のために用いる片口型や丸皿型をした民具で、特に米などの穀物の選別の際に殻や塵を取り除くために用いられるものだよ。

機械式の用具と区別して手箕(てみ)とも言うそうな。

英語では “winnowing basket” と言うらしいが、これは「ふるいわけ籠」という意味だね。

 

でも、なまはげの面の材料や形には、いろいろな種類があるようだね。

わしが見たのが、たまたま箕で作られたものだったのだろうね。

 

その後、秋田市に行ったときにも何度かなまはげに会ったが、いつも違う顔をしていたね。

 

なまはげは、秋田県の男鹿半島やその近くの山本郡三種町や潟上市の一部で見られる伝統的な民俗行事で、200年以上の歴史を有するそうな。

国の重要無形民俗文化財に指定されていて、ユネスコの無形文化遺産にも登録されているんだね。

 

1月15日の小正月の夜に、なまはげは、

「泣ぐ子(ゴ)は居ねがー」

「悪い子(ゴ)は居ねがー」

と奇声をあげながら、各家庭をまわる。

盛装をした主人は、

「いねぇす、いねぇす」

と言いつつ、囲炉裏端に案内して、酒肴でもてなす。

その間、子供はおびえた目をしながら、隠れている。

 

何軒か回ると、なまはげにも酒が回って、足取りも怪しくなってくるんだそうな。

 

男鹿半島地区では、かつては殆どの集落で、年中行事としてのなまはげを実施していたが、少子高齢化が進んだ最近では、ほぼ半減しているそうな。

男鹿市の調査によると、2015年までの25年間に約35地区で行事が途絶えたとのことじゃよ。

本来は、地区の未婚の男性がなまはげを務めるのじゃが、高齢化と地区の人口減により担い手の若者が減少してきたため、地区外の若者や、さらには秋田大学や国際教養大学の学生さんたちが務めることもあるそうな。

国際教養大学には外国人の留学生も多いが、外国人のなまはげなんて、考えにくいよね。

 

さらには、子供が少なくなったために、なまはげが訪ねる「子供のいる家庭」も、年々減ってきているそうな。

 

なまはげには角があるため、鬼と思われることもあるが、本来は来訪神なんじゃよ。

赤い顔のジジナマハゲと、青い顔のババナマハゲ)の一対で訪れるが多いようだね。

 

長時間、囲炉裏(いろり)にあたっていると、手足に低温火傷をすることがあるね。

この低温火傷は温熱性紅斑というが、秋田では「ナモミ」とか「アマ」と呼ぶんだよ。

これを剥いで怠け者を懲らしめることの、「ナモミ剥ぎ」から転じて「なまはげ」になったとのことじゃよ。

 

なまはげが家に来た時の怖い体験は、幼児の記憶に強く刻み込まれるため、子供が言うことをきかない時など、

「なまはげ、くるど!」

というと、子供たちは縮まって言うことをきくようになるとの事じゃが、ゲームでもっと怖いキャラクターに慣れてしまっている現代っ子たちには、どれほどの効果があるんじゃろうかね。