「世界三大美人」、「日本三大美人」を紹介したついでと言っちゃあ、当人たちに悪いが、中国の美人たちについても紹介しよう。


中国では美人を表す言葉として
「沈魚落雁閉月羞花」
という例えがあるそうな。

あまりの美しさに魚は水底に沈んで隠れる「沈魚美人」とは戦国時代の越の西施(せいし)


飛びながら、その美しさを見た雁は見とれて落下するという「落雁美人」とは漢時代の王昭君(おうしょうくん)


月も隠れてしまうほどの美しさという「閉月美人」とは三国時代の貂蝉(ちょうせん)

 

咲いている花も恥じらって花びらを閉じるという「羞花美人」とは唐の玄宗皇帝の愛妾であった楊貴妃(ようきひ)を指すとのことだ。

 

これに秦末の楚の項羽の愛妾であった虞美人を加えて五大美人ともいうらしいね。
 

当時の、化粧品も化粧技術も未熟で、ましてや美容整形などなかった時代に、どんなに美しかったのか想像もできないね。
今の女優やタレントと称する金太郎飴のように同じような顔をした女の子なんか、足元にも及ばないだろうね。
いや、その時代に生まれて、この内の一人で良いから一目でも拝みたかったね。

中国では、三国志に「大嬌」「小嬌」という美人姉妹が出てくるね。
大嬌は呉の孫策の妃になり、妹の小嬌は同じ呉の大都督である周瑜の妻となった。
魏の曹操は、この姉妹を手に入れることを夢見て呉に攻め込むのだから、この姉妹も見たら目が潰れるくらいの美人達だったに違いないね。


孫策や周瑜は、毎日見ていて、よく目が潰れなかったと思うよ。

そう言えば落語に、大店の若旦那が早死にしたが、その理由が、若くて美人の奥さんを貰ったからだと聞いて、八つぁんが家に帰ってきて、おかみさんとさし向いでご飯を食べながら、おかみさんをしげしげと見つめ「あぁ、俺は長生きだ」と呟く場面があったね。

いやぁ、ちと脱線したが中国の美女に戻ろう。

最初に西施から話そう。


西施は本名を施夷光と言って、紀元前5世紀頃の春秋戦国時代に紹興に生まれたのだそうな。紹興と言えば紹興酒が有名だね。
程良くお燗をして氷砂糖を入れて飲む、あの甘いお酒だが、口当たりが良くていくらでも飲めるね。


「西施」に戻ろう。私ゃ自分で見た訳じゃないが、楊貴妃が豊満な肉感的な美女だったのに対して、西施は線の細い感じの美女だったのだそうだ。


芭蕉の奥の細道に

 

象潟や 雨に西施が 合歓(ねむ)の花

 

という句があるが、しとしとと降る雨の中にひっそりと咲く合歓の花を思わせるような風情を漂わせていたらしい。
いやぁ、いくら芭蕉でも、実際に西施に会ってはいないと思うよ。


『荘子』によれば、西施は胸が痛む持病を持っていて、胸元を押さえて、顰(ひそみ=眉間)に皺を寄せた姿は実に艶めかしかったのだという。
これを見た一人の醜女が、西施の真似をして顰に皺をよせて歩き回ったところ、村の衆達は怖がって皆逃げ隠れてしまったそうな。
この故事から、「むやみに他人の真似をする愚か者」との意味から「顰に倣う」という言葉が生まれ、『西施捧心』という四字熟語になったとのことだよ。