正月早々暗い話が続いて気が滅入るね。こんな時は大きな話の方が気が晴れるのだが、昨日の約束だから、小さい話をしよう。小数点以下の数字の単位だよ。

良く、職業野球の選手の打率が3割1分5厘だとか言っていたね。今は、0.315とか言っているが、それでも「3割打者」などという言葉は残っているよね。

大きな単位が、上の方では4桁ごとになっていたが、1/10は割、1/100は分、1/1000は厘といった具合に、小さな単位は一桁ごとに単位の名前がついている。
1/10は「割」じゃなくて「分」だと書いてある本もある。


私たちが日ごろ使っている「割、分、厘」とは一桁ずれていることになるが、「九分九厘確実だ」などという言葉を聞いて、「じゃあ、確実性は一割に満たないのかいな」などと思った人はおるまい。「九分九厘」は99%のことなのだからね。この意味で、分は1/10だという説もなるほどとは思うがね。

さて、厘の下はどうなっているかと言えば、
1/1000が毛、これからは一桁小さくなるごとに、糸、忽、微、繊、沙、塵、挨、渺、漠、模糊、逡巡、須臾、瞬息、弾指、刹那、六徳、虚空、清浄
となり、清浄は10の-22乗となる。
文字を見ると、塵埃、(曖昧)模糊、刹那など、いかにも小さそうな感じのするものが多いね。

大きい数字の単位が、4桁毎に名づけられており、4桁の中では「千、百、十」という、いわば「サブ単位」を使っていた。ほら、1,234,567,890は「12億3千4百5十6万7千8百9十」と読むじゃないかね。

でも、小さい単位には「サブ単位」は無くて、一桁毎に単位が決まっているんだよね。
しかも、大きい単位の最大の「無量大数」は10の68乗だったのに対して、小さい単位の「清浄」は10の-22乗にすぎない。
歴史的に、我々の御先祖達は小さいものには、あまり興味を示してこなかったということかも知れないね。

西洋の単位の最大のYotaが10の24乗で、東洋思想の広大さが示された訳だか、小さい単位は西洋の方が多いんだよ。しかも、西洋の単位は、Deca (10^-1) (d)、Centi (10^-2) (c) から下は、
Mili (10^-3) (m)、Micro (10-6) (μ)、 Nano (10-9) (n)、 Pico (10^-12) (p)、Femt (10^-15) (f)、At (10^-18) (a)、Zept (10^-21) (z)、Yoct (10^-24) (y) といった具合に、大きい単位と同じように3桁ごとにつけられている。

余談だが、我々が良くe-mailアドレスなどで使う「@」を「アトマーク」と呼ぶが、正式な名前じゃないんだよ。ひょっとしたら、「10の-18乗の印か?」なんて思う、臍曲りもいるかもしれないね。「@」は「Snell (カタツムリ)」と読んだら、格好いいと思われるよ。

東洋の単位の名付け方では、生活や思想に対応して、大きい単位と小さい単位とで考え方が違っている。
これに対して、西洋では大きい単位も小さい単位も、仲良く3桁ごとに24桁まで名前が付けられているね。
ここにも、東洋の人間主体の哲学と西洋の物質主体の哲学の差が見えるような気がするね。

おや、もうお帰りかい?
寒くなるらしいから、気を付けるんだよ。