赤穂浪士の墓 | フーテンの横チン

赤穂浪士の墓


2014・6・24~愛媛・松山市~
 いつも目の前を通り、気になりながらもスルーしていた興聖寺に立ち寄った。あの忠臣蔵で有名な赤穂浪士の大高源吾と木村岡右衛門の墓があるのだ。このお寺を初めて見た時、松山藩と赤穂浪士が結びつかなかったんだけど、元禄1215年(1702)に吉良上野介討ち入り後、松山松平家が大高、木村両氏を合わせた10人を預かったと知った。将軍・綱吉の決断で浪士の処分が決まり、松山藩で預かった全員が切腹。大高、木村両氏を介錯した徒歩目付の宮原久太夫(きゅうだゆう)が2人の遺髪を持ち帰り、興聖寺にねんごろに葬ったそうだ。
 興聖寺では毎年12月14日、松山義士祭が開催され、2人を供養すると同時に、義士の心、武士の心を後世に伝承している。現代に生きる侍といえば、サッカーW杯に出場している日本代表。現在、1分け1敗で勝ち点1。決勝トーナメント進出には絶対に勝たなければならないコロンビア戦は日本時間25日早朝にキックオフを迎える。まあ、無理やり結びつけた感は否めないけど、23選手には四十七士と同じ一丸の心を持ってぶつかってほしい。