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先日、お婆が亡くなった。
所謂、数えでいうと103歳。



お爺は30年も前に亡くなってて
もう、10数年のホーム暮らしで
一時は、ホーム内の優良児だった。


あ、優良児じゃなくて優良婆、か。


出された食事はよく食べてたと聞く。


アタシはここ何年も会いに行くこともせず
相当な婆不幸者なのですが
数少ない、思い出を思い出してた。


コドモの頃は毎年
夏休みに訪れ
たまに一緒にお風呂に入った。


タオルをね、
湯船に浸して
それで耳を洗ってくれたのが
気持ち良くってよく憶えてて
そのことをオトナになってから
伝えたんだけれども


おー、そーかそーか、
そんなことあったかー、
おぼえてねーなー


と返ってきてプチショック笑


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一時の優良婆時代も過ぎゆき
いろんな記憶を手放してって
近年は身内のことも
わからんくなってたらしい。


それでも、よく食べてたってのは
変わらずだったっぽくて
なんか、えーなー、って思った。


これまでにも何度も
体調を崩し
市立病院に運ばれるコトはあって
その度、長男夫婦が飛んでってた。


大抵は、数日の入院で
病院食をよく食べては
ホームへ戻って来てた。


年頭に、また同じように連絡があり
長男である叔父は他界していて
叔母が都合が悪かったので
次男である父が向かった。


今夜がヤマです、
との連絡を毎度受けるのだが
とりあえず、ヤマは越えた。


越えたけれども、
今回はいつものようにはいかないよ、
と、医師に言われたらしい。


即ち、帰れないよ、
と仄めかされたとな。


なんとなく、、、
私もそんな予感がした。


今回は病院食を食べることなく。。。


一旦、父は帰宅してたんだけどね、
数日後、再び向かうことに。


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数年前に母から聞いた
スゴくイイ話があるんで書くね。


どんな理由かまでは謎ですが
自殺をしようとしたらしいのです。


海にね、死ぬために入ったらしい。


でも、助かったんだって。


30代とか40代かな。


それで、100歳を超えるほど
生きたんだよね。


助かった後、
どんなこと思って
どんなこと考えたか知らんけど
それからは、命を大切にしたんだろーね。


この話をコドモん頃に聞いてたら
受け容れられなかったかもだけど
なんかさ、ずぶ濡れで青い顔して
助かったときのお婆の姿を想像して
ヨカッタ、ヨカッター、って思うんよ。




お婆は後妻さんで
三男からのオカンでした。


血、つながってないけど、
縁は感じる。


血、つながってない父を
育ててくれてありがとう。


優しくしてくれてありがとう。



へんてこりんなナマリで
何言ってっかわかんないこともあったけど
あの優しい口調で
洋子ちゃん、洋子ちゃん、と
繰り返し呼んでくれた声が
繰り返し、繰り返し、蘇ります。




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